第31課 神による人生の問い直し

キリストのすばらしさに捕らえられてー使徒パウロの生涯


第31課:神による人生の問い直し(使徒言行録16章3~10節、2011年10月16日)


《今週のメッセージ:神によるストップ(箴言3章5~6節)》

 パウロは、アジア州で御言葉を語ることを聖霊によって禁じられたため、ビティニア州に入ろうとしますが、それも許さなかったのでトロアスに下っていきます。どうして聖霊が、アジアやビティニアでの福音宣教を禁じられたのか分かりませんが、それによりマケドニアへと渡っていくことを促されます。こうした一連の出来事は、パウロを当惑されるものだったのではないでしょうか。しかし巡り巡ってトロアスにたどり着いた時、理由が分かります。それは福音がマケドニア、そしてさらに西へと広げられていくことが、主の御心であるということでした。そしてそれによってパウロの福音宣教はさらに大きく展開することになります。イエス・キリストの福音は、ヨーロッパへと伝えられていくことになるからです。この神によるストップは、パウロの生涯にとって大きな分岐点となる出来事でした。こうしてパウロは、東方から西方へと、アジアから世界へと福音を広げる器として用いられていくことになり、パウロの働きはさらに大きな飛躍を遂げていくことになるからです。このことは、わたしたちにも起こることではないでしょうか。それは、これまでの生き方や自分自身を見つめ直させるための、神によるストップなのです。


1.祖母ロイスと母エウニケの信仰の中で

 前課では、キリストの思いを自分の思いとして真実に生きたテモテについて考えました。「他の人は皆、イエス・キリストのことではなく、自分のことを追い求めている」と、他の働き人が自分のことばかりに意を尽くしている時に、テモテは主イエスとその福音に忠実に仕えたこと、そこでパウロは彼について、「わたしと同様、彼は主の仕事をしている」と断言することができたことを見ていきました。テモテは、自分を満足させるた

めの「自分の仕事」ではなく、「主の仕事」を果たしていった真実な奉仕者でした。そこでパウロは彼を伝道旅行に同行させていくことにします。そこで覚えたいことは、これほど熱心で忠実なキリストの僕は、一朝一夕で生み出されるわけではないということです。テモテの熱心で忠実な働きの背後に、彼をそのように育てていった祖母ロイスと母エウニケの信仰があることを忘れてはなりません。テモテは必ずしも意志強固な強い人物で

あったわけではないことが、パウロの言葉から伺い知ることができます(1テモテ4章12節、2テモテ1章7節)。体も頑強ではなくて病弱で(1テモテ5章23節)、柔弱とさえ言えるテモテが、それでも激しい迫害と困難に耐えていったばかりか、教会の牧師としての困難な務めを最後まで全うしていくことができたのは、彼の心にキリストへのまっすぐな信仰が植えつけられていたからではないでしょうか。テモテの信仰は、祖母ロイス

と母エウニケから引き継がれていった三代にわたるものでした(2テモテ1章5節)。テモテの父は「ギリシャ人」(使徒16章1節)だったので、彼は割礼を受けていませんでした(同3節)。父親の権力と権威が絶対であったローマの社会にあって、母エウニケは息子に体の割礼を授けることができなかったのですが、心に割礼を授けることはできました。テモテの父親がどのような人物であったかは不明ですが、信仰の困難な家庭環境に

あっても、母エウニケは自分の息子に熱心に神への「純真な信仰」を伝えていきました。


 そこでテモテは「幼い日から聖書に親しんできた」(2テモテ3章15節)のですが、それは異教徒であった父親の無理解や困難の中にあっても挫折することはありませんでした。だから「あなたは、自分が学んで確信したことから離れてはなりません。あなたはそれをだれから学んだかを知って」いるからとパウロは語ることができました。テモテに「純真な信仰」を植えつけ、その名の通りの「神を畏れ敬う人」へと成長させていった、その信仰の素地は、母エウニケの熱心な信仰と教育に基づくものでした。母エウニケも、困難な信仰の中で息子にだれに対して熱心で忠実であるべきかを、生きることのすべてにおいて語り、教え、伝えていったのです。テモテを、自分の思いのとおりになるように、自分自身に結びつけて育てたのではなく、まことの神へと心を向け、キリストに結びついていくように育てていったのでした。テモテが、「自分自身を宣べ伝えるのではな

く、主であるイエス・キリストを宣べ伝える、イエスのためにあなたがたに仕える僕」となって成長していった背後には、母エウニケ自身の、自分自身をではなく「キリストの僕」として生きた真実な生き方があったのでした。


2.ユダヤ人として律法を守り行うこと

 こうして「主の仕事」を果たす真実な奉仕者であるテモテを、パウロは伝道旅行に同行させることにしますが、それに際して「その地方に住むユダヤ人の手前、彼に割礼を授け」ます(使徒16章3節)。しかしこのことに関して、これは信仰の妥協ではないかとか、日和見主義的であるといった批判が見られます。またガラテヤ書でパウロは、「同行したテトスでさえ、ギリシャ人であったのに、割礼を受けることを強制されませんでし

た」と報告し、「福音の真理」について「片ときも・・・屈服して譲歩するようなことはしませんでした」と断言していますので、そもそもこの記事の信憑性を疑う者もいます。これはパウロにはありえないことで、ルカの文学的創作・虚構だと。しかしそれはもう一方のパウロ自身の主張を無視しています。パウロはこう語りました。「わたしは、だれに対しても自由な者ですが、すべての人の奴隷になりました。できるだけ多くの人を得るためです。ユダヤ人に対しては、ユダヤ人のようになりました。ユダヤ人を得るためです。律法に支配されている人に対しては、わたし自身はそうではないのですが、律法に支配されている人のようになりました。律法に支配されている人を得るためです。・・・弱い人に対しては、弱い人のようになりました。弱い人を得るためです。すべての人に対してすべてのものになりました」と(1コリント9章19~22節)。そもそもテモテとテトスでは置かれた状況がまるで違います。テトスはギリシャ人、完全な異邦人でした。その異邦人のテトスに割礼が強要されるなら、それは福音の自由を侵害する重大な違反となりますから、パウロは命を掛けてそれに反対したでしょう。しかしテモテはユダヤ人でした。ユダヤの法的身分は、父親が異邦人でも母親がユダヤ人の場合、その子供はユダヤ人と見なされます。ですからテモテには割礼を受ける義務がありました。


 パウロは、異邦人に割礼を強要することには強く反対しましたが、ユダヤ人が律法を破り、違反することを勧めたわけではありません。後にフェリクスの前で、自分は「律法に則したことと預言者の書に書いてあることを、ことごとく信じています」と語るとおり(使徒24章14節)、ユダヤ人として律法を守り行うことについて、彼自身も忠実に生きてきましたし、他のユダヤ人が守り行うことを妨げることはなく、むしろそれを勧めていきました。ここでも、ユダヤ人であるテモテが割礼を受けることに反対し、それを妨げるのではなくて、むしろ律法を守り行うように促したと理解することができます。それはテモテ自身のためでもあり、彼と接するユダヤ人やユダヤ人キリスト者のためでもありました。こうして相手につまずきを与えず、弱い相手に配慮するという、使徒会議で確認された原則が、ここでも発揮されることになります。ですからパウロは、「方々の町を巡回して、エルサレムの使徒と長老たちが決めた規定を守るようにと、人々に伝えた」のですが(同16章4節)、それは会議で決められた「使徒教令」のことでした(同15章20、29節)。そしてこのような相手に対する配慮という愛の業の中で、主イエスの福音は前進していくことになるのです。「こうして、教会は信仰を強められ、日ごとに人数が増えていった」のでした(同16章5節)。


3.神によるストップ

 こうしてガラテヤの教会を後にしたパウロは、さらにアジア州へと福音を広げていこうとしますが、「アジア州で御言葉を語ることを聖霊から禁じられたので、フリギア・ガラテヤ地方を通って行」きます。そして「ビティニア州に入ろうとしたが、イエスの霊がそれを許さなかった」ので、「ミシア地方を通ってトロアスに下っ」ていくという行程をとります(同6~8節)。以前の説明では、ここでガラテヤ伝道が為され、ガラテヤ教会が設立されたとしてきました。それは北ガラテヤ説に基づくもので、ガラテヤで伝道が為されたのは、パウロが病気になったからでしたが(ガラテヤ4章13節)、それは長逗留を必要とします。しかしそれはここでのルカの記述と合いません。ルカはただそこを通過しただけだと伝え、なによりそれは聖霊・イエスの霊によって禁じられたからと語るからです。理由は分かりませんが、とにかく彼らはそこで「御言葉を語ることを禁じられた」のですから、そこで伝道したと考えるのは矛盾します。ですからガラテヤ教会は、この第二回伝道旅行で再訪したデルベ、リストラ、イコニオンといった教会と理解する方が整合性があります。そしてここで考えなければならないことがあります。どうして聖霊・イエスの霊が、アジア州、フリギア・ガラテヤ地方、ミシア地方、ビティニア州での福音宣教を禁じられたのかは、わたしたちには分かりませんが、それによりまっすぐトロアスからマケドニアへと渡っていくことを促されたということは分かります。そしてこれによりパウロの福音宣教はさらに大きな展開を見ることになります。つまりイエス・キリストの福音は、ヨーロッパへと伝えられていくことになるのです。そしてキリスト教は、ヨーロッパからアジアへと広げられていくことになります。どうしてまずアジアで広げられ、アジアから伝えられていかなかったのか、わたしたちには分かりません。そこに神の深いご計画があったと言わざるをえません。しかしこの時そのことを知る由もないパウロにとって、このことは彼を随分と当惑させたのではないでしょうか。行けども行けども、その先々で福音を語ることが禁じられ、これは一体どういうことだろう、一体どこで福音を語ったら良いのだろうと、パウロは困惑しながら旅を続けていったに違いありません。


 ここでパウロは、「アジア州で御言葉を語ることを聖霊から禁じられ」、そして「ビティニア州に入ろうとしたが、イエスの霊がそれを許さなかった」とあります。それが具体的にどのようなことだったのか、聖書は記しませんので、どのような状況だったのか、またどのような事態が生じて、そのように理解したのか分かりません。ただ天から声が聞こえたとか、幻を見たといった何か神秘的な現象があったと理解する必要はないでしょう。そうであればここに記されたはずだからです。そうではなくパウロがそのように覚えさせられるような、何か強い促しを心に覚えたのでしょう。しかしそのことは、パウロを大きく当惑される出来事だったのではないでしょうか。福音を語ることは神の御心のはずです。パウロはそのために立てられ、派遣されました。アジア州で福音を語ることはどうしていけないでしょうか。しかしそれは主の御心ではなかったのです。ビティニア州で福音を語ることもそうでした。そしてパウロは、その主の御心に従っていったのです。どうしてそこで神によるストップがかかったのか、わたしたちには分かりませんし、それはパウロも同じだったことでしょう。しかし巡り巡ってトロアスにたどり着き、一夜を過ごした時、その理由が分かります。それは福音がマケドニア、そしてそこからさらに西へと、つまりローマへと広げられていくことが、主の御心であるということでした。「パウロがこの幻を見たとき、わたしたちはすぐにマケドニアへ向けて出発することにした。マケドニア人に福音を告げ知らせるために、神がわたしたちを召されているのだと、確信するに至ったからである」と。こうしてパウロは、東方から西方へと、アジアから世界へと福音を広げる器として用いられていくことになり、ここでパウロの働きはさらに大きな飛躍を遂げていくことになります。


 そして実は、このことはわたしたちにも起こることではないかと考えさせられるのです。幸先良く事を為していたとき、突然思いもかけない出来事に見舞われて、それが中座させられるということがあります。予想にしなかった事態に当然襲われて、これまでしてきたことが強制的に止められてしまう、そんなことがわたしたちの人生の中に起こります。神によるストップです。順調に仕事をこなしていたとき、突然のトラブルに見舞われ、これまでの在り方についての変更を余儀なくされることがあります。それなりに自分の人生を積み上げて順調に暮らしていた時、思いもかけない大病に見舞われ、そうした日々の変更を余儀なくされるということもあります。自分なりにうまく生きてきたと思った矢先、家族に問題が生じて、これまでのあり方を変更せざるをえなくさせられることもあります。親の介護や子供のトラブルのために多くの時間を費やし、自分がやろうと考えていた事ができなくなってしまい、将来設計がまるで狂ってしまうことがあります。それはもしかすると、神による強制終了なのかもしれません。それは、これまでの生き方で本当に良かったのか、もう一度自分を見つめ直させられるための、神によるストップなのです。そのようなことを通して、神はわたしたちに問いかけておられるのではないでしょうか。これまでの生き方で本当にいいのか、それがあなたと周りを豊かにしていくふさわしい生き方なのかと。一生懸命にやっているのに、空回りばかりしている自分に気づいたら、そのことを考えてみたら良いと思います。これは神によるストップなのだと。パウロが、アジアやビティニアでの伝道を、どのように禁じられたのか、わたしたちには分かりません。しかし彼はそれを神からの導きとして受けとめ、そのときはその意味も理由も分かりませんでしたが、それでもその導きに従って行きました。そしてそこで大きな飛躍を遂げていきます。実はこの16章10節と11節の間は、パウロの人生にとって大きな分岐点となります。これを境にパウロは、アジアの伝道者から世界の伝道者へと転身することになるからです。しかしそのことを、このときのパウロは知る由もありませんでした。自分にはふさわしいと思える道が閉ざされていく時、あるいはこれがあるべき自分の在り方だと思う方向が大きく変えられていく時、神によるストップを考える必要があると思います。そこではこうでなければだめだという、自分に対するこだわりを捨てることです。そうした自分の思いや願いを一つ一つ手放し、それを神にあずけていくことです。そのときこのストップは、自分自身が大きく変えられ、新たな飛躍を遂げていく恵みの出来事となっていくのです。


4.主の導きに従う

 さらに考えさせられることは、これが神の御心だと信じて進んでいくのに、それがなかなか開かれていかず、むしろ別の道へと導かれていくとき、わたしたちもパウロと同じ問題に直面するということです。わたしたちも信仰の道筋の中で、この道こそ神の御心に適うはずだと信じて進んでいくのに、それとは違う道を示されて困惑することがあります。別の道へと導かれて、当惑することがあります。一体神の御心はどこにあるのだろうかと、分からなくなってしまうことがあります。しかしここで大切なことは、そこで自分の思いや考えに固執せず、パウロはひたすら主の導きに従っていったということです。これこそ「主の御心」だと確信しながら、実はそれは単に「自分のお心」でしかない場合があります。本当はただ自分の思いや願望を形にしただけなのに、それを神の御心と勘違いし、あるいは誤解して、それを握りしめ続けていくということがあります。アジア州で福音を語ることはどうしていけないでしょうか。福音を語ることは神の御心のはずではないでしょうか。しかしそれは、そのときは主の御心ではなかったのです。そしてパウロは、その主の御心に従っていったのでした。この点が、わたしたちにも大切ではないでしょうか。つまりわたしたちは、これは主の御心だとか、神の御心に適うと確信しながら、実はどれほど自分の思いに固執し、自分の願望を実現しようとしていることが多いかということです。それは一見しただけでは分かりませんが、確かにその背後に主の深いご計画があるのです。しかしそれを悟ることをせず、この道が正しいと自分の考えに固執し続けてしまうのです。


 わたしたちに大切なことは、そうした自分の思いに固執し、それを神に押し付けるのではなく、神の御心に従順に従っていくことではないでしょうか。そしてこれがなければという自分の思いと願いとを、手放していくことではないでしょうか。とにかくこうして行く先も分からないまま、いわばその地を放浪するように巡り巡ってトロアスまでたどり着いた時、パウロは幻によって、その先の導きを確信します。トロアスでの夜、「マケドニア州に渡って来て、わたしたちを助けてください」と懇願する幻を見て、神が自分たちをマケドニアへと導いておられることを確信し、ただちにそれに従います(9~10節)。自分の行く先が見えずに、あちらこちらと試行錯誤する間は苦しいものですが、それさえ意味があることであり、必ずその先をも神が導いてくださると信頼して従い続けていくこと、そして道が示されたら、それに素直に従っていくという従順さが求められるのではないでしょうか。そしてさらに大切なことは、わたしたちがこうした「主の召し」に素直に応答していくことではないでしょうか。わたしたちは、どこまでもただ「主の召し」に応えて歩んでいくのであり、自分の思いや願望ではなく「主の召し」に従い続けていくのであり、自分の思い描く計画ではなく、主が示され導かれるご計画に従って生きていくことこそ、わたしたち信仰者の人生なのです。