· 

第30課 自分の仕事ではなく「主の仕事」を果たす奉仕者

キリストのすばらしさに捕らえられてー使徒パウロの生涯


第30課:自分の仕事ではなく「主の仕事」を果たす奉仕者(使徒言行録15章30節~16章5節、2011年10月2日)


《今週のメッセージ:「主の仕事」を果たすことへの召し(フィリピ2章21、22節)》

 パウロはテモテが「キリストの福音のために働く神の協力者」であり、「息子が父に仕えるように、わたしと共に福音に仕えた」と紹介して、彼が主イエスに忠実な奉仕者であることを明らかにします。それは彼が、自分の言いなりになるイエスマンだからではなく、真実にキリストの思いを自分の思いとして生きる働き人だったからでした。「他の人は皆、イエス・キリストのことではなく、自分のことを追い求めている」と、他の働き

人たちが自分自身のことに意を尽くしている時に、パウロはテモテが「わたしと同様、彼は主の仕事をしている」と断言しました。テモテが担ったのは、パウロの仕事ではなく、「主の仕事」だったからでした。「わたしたちは、自分自身を宣べ伝えるのではなく、主であるイエス・キリストを宣べ伝えています。わたしたち自身は、イエスのためにあなたがたに仕える僕なのです」。わたしたちはどうでしょうか。それはどこに向けられ、何に熱心な働きなのでしょうか。教会の中で、自分のしたいことをするのが奉仕でしょうか。自分を満足させるための自分の仕事ではなく、「主の仕事」をするのが奉仕ではないでしょうか。わたしたちは、自分の仕事ではなく、「主の仕事」をするために、召し出されたのです。


1.第二回伝道旅行の出発の際に生じた出来事

 エルサレム会議では、割礼を含めて律法という、「負いきれなかった軛」を異邦人キリスト者に負わせるようなことはなく(使徒15章10、19、28節)、ただ「主イエスの恵みによって救われる」ということが明確にされました(同11節)。しかしまた同時にそこで、同じ一つの信仰に生きる者たち同士が、異なる文化と生活習慣の中で共に生き、一つの食卓を囲んだ一つの礼拝を守り、一つの教会を建て上げていくことのために定められた原則も立てられました(同20、29節)。それは相手に配慮するということであり、具体的には異邦人キリスト者が、ユダヤ人キリスト者の忌み嫌う事柄を自主的・自発的に避けることで、主にある交わりを維持し、さらに豊かにしていくというものでした。その事柄は、手紙に書き記されると共に(同23~29節)、それを口頭で説明する使節も遣わされることになります。それがユダとシラスでした(同22、30~32節)。そして彼らと共にアンティオキアに戻ったパウロとバルナバは、腰を落ち着ける間もなく再び福音宣教へと出かけることにします。第二回伝道旅行でした(同36節)。ところがそこで衝突が生じてしまいます。バルナバは、第一回伝道旅行で連れて行ったマルコも連れていきたいと考えますが、パウロは途中で「自分たちから離れ、宣教に一緒に行かなかったような者は、連れて行くべきではない」と考え、反対します。そしてそれがこれまで共同で福音宣教にあたってきた二人の関係を引き裂いてしまいます。二人は「別行動」をとることになり、バルナバはマルコを連れてキプロスへ、パウロはシラスを連れてとそれぞれ別々に旅立って行くことになります(37~40節)。


 こうして福音宣教のために協力し合ってきた二人の指導者が仲違いしてしまって、しかもその関係が修復されないまま、それぞれ別行動を取るに至ったというこの出来事は、わたしたちをとまどわせ、つまずかせます。パウロやバルナバも弱く欠け多き人間にすぎないと言えば、そのとおりですが、あまりにも残念なことです。しかしわたしたちは、教会を理想的な愛の世界であるかのように考える幻想を捨てるべきです。教会は初めから問題に満ち、争いと分裂を抱いていました。指導者たちさえ完璧で完全な人々だったわけではなく、多くの欠けと弱さをもった人間にすぎませんでした。しかしそこで覚えなければならないのは、まさにこのような罪人の集まりにすぎない教会のただ中においても聖霊は生きて働かれ、欠け多き人間を神は用いていかれたということです。わたしたちは、どこまでも罪人の集団でしかない教会に理想を抱いたり、弱い人間でしかない指導者に過度な期待をするのではなく、むしろそのような弱い者をさえ用いてご自身の働きを進めて行かれる神の働きを期待し、見つめるべきです。ここでも二人の指導者が仲違いしたことは躓きではありますが、しかしそれによって伝道チームが二つになり、福音がさらに広げられていく結果となったことを覚えたいと思います。あれほど協力し合ってきたパウロとバルナバが、いつまでも仲良しなままであったら、福音宣教のチームもいつまでも一つのままであったでしょう。しかしここで二つになったことで、さらに福音が各地へと広げられることになります。二人だった伝道者は四人の伝道者となっていったのでした。


2.失敗者マルコと彼を支えるバルナバ

 ここでパウロとバルナバが仲違いをした原因はマルコでした。それはかつてマルコが第一回伝道旅行の途中で帰ってしまったことが遠因ですが(13章13節)、なぜマルコが途中で帰ってしまったのか、その理由はわかりません。色々な説がありますが、本当のところは不明です。マルコはホームシックにかかったという説もあれば、パウロと対立したことが原因だとする説もあります。キプロスまでは宣教団のリーダーはバルナバでしたが、途中からパウロが指導権を握ることになります。バルナバのいとこでもあったマルコは、パウロが異邦人に伝道していくことやそのやり方に耐えられなくて、意見が衝突して帰ってしまったというのです。さらには、パウロの教えそのものにマルコが反対だったという説もあります。異邦人に割礼を求めないパウロの福音理解は、生粋のエルサレム教会出身であったマルコからすれば耐えられないもので、抗議の意味を込めて帰ってしまったというのです。あるいは、ただ単にバルナバの故郷キプロスでの伝道だけと思ってついて来たのに、パウロがさらに他の地域にまで出て行こうとしたので、ついていけなかったとする説もありますし、パウロたちが渡って行った地方はマラリアその他、病気の危険があり、ユダヤ人からの迫害もありましたから、それにおじけづき、旅行の困難さに音を上げてしまったという説もあります。しかしとにかくどういう理由からマルコが帰ってしまったにしろ、途中で伝道を放棄したことは間違いなく、それがパウロからすれば、伝道者として不適格であると判断されたのでした。しかしバルナバからすれば、彼は自分のいとこであるだけではなく、「慰めの子」とあだ名された資質からも分かるように、若いマルコにもう一度チャンスを与えたかったのだと思います。かつて皆から恐れられていたサウロをさえ引き出し、教会に連れて来て皆に紹介し(使徒9章27節)、その後タルソスに引き込んでしまった彼を、役に立つ者として育てたバルナバからすれば(使徒11章25、26節)、それは当然のことでした。パウロも、このバルナバの寛容さと忍耐のおかげで、今や押しも押される大伝道者となっていったのです。バルナバなしに伝道者パウロもありませんが、それはバルナバが、サウロにチャンスを与えたからでした。そして今、伝道に挫折し、失敗したマルコにも、もう一度立ち直るチャンスを与えようとしたのでした。


 このマルコという青年がどのような人物だったか、詳しいことは分かりませんが、その一端をかいま見させる記事が福音書にあります。主イエスがゲッセマネの園で逮捕され、連行されようとした時、そこに居合わせた弟子たちは皆、散り散りになって逃げてしまいます。そこに亜麻布一枚をまとってついてきていた青年がいましたが、人々に捕まえられそうになったとき、それを捨てて、すっ裸で逃げてしまいます(マルコ14章51節)。亜麻布は非常に高価なものでしたから、彼が上流階級に属するお金持ちの子息であることがうかがえますが、夜具かわりに身にまとった布をすてて裸で逃げたという姿は、およそ勇敢さや大胆さから程遠い人物であったことがうかがえます。彼がマルコと呼ばれるヨハネで、大きな二階座敷を持つ非常に裕福な母マリアの息子でした。最後の晩餐をした家も、聖霊が降ることを祈り求めて弟子たちが集まっていた家も、ペトロが逮捕された時に教会の皆が集まって祈った家も、マルコの家でした(12章12節)。つまりマルコは、何不自由なく生活してきた育ちの良いお坊ちゃんでした。それが過酷で辛い伝道旅行に耐えられるはずもなく、途中でリタイヤしてしまったとしてもおかしくありません。とにかくマルコは、せっかくパウロとバルナバに認められて、伝道者として連れていかれたにもかかわらず(12章25節、13章5節)、途中で挫折し、失敗してしまったのです。そんな情けない失敗者をまた連れて行くことは、パウロにすれば願い下げでした。足手まといになるばかりか、みんなの士気を下げ、全体に悪影響を与えかねないからです。しかし「慰めの子」バルナバは、まだ若くて、これからのマルコにもう一度チャンスを与えることで、伝道者として立つことができる機会を与えたかったのでした。


 たしかにマルコは、一度だけではなく二度も失敗しました。一度目は、ゲッセマネの園で主を捨て裸で逃げてしまったという、言い逃れようにない大失敗でした。それでも伝道者とされたマルコでしたが、今度は伝道の途中で逃げ帰ってしまいました。まことに情けない挫折者であり、人生の失敗者と言わざるをえません。この後マルコがどのような働きをし、どのような人生を送ったか、詳しいことは分かりませんが、確かに分かることがあります。かつて主イエスを裏切り、旅行の途中で挫折したマルコでしたが、わたしたちに福音書を残したという事実です。教会の伝承によればマルコは使徒ペトロの弟子として、ペトロが行く所どこにでもついて行き、ペトロの語る福音を通訳して一緒に廻ったとされています。そしてそのペトロの説教が、やがて福音書としてまとめられたのです。それが「マルコによる福音書」で、この福音書においてマルコは、若かった時の失敗を書き加えました。ゲッセマネの園で主を捨て、裏切ってしまった、そのとき裸で逃げだすという自分の醜態を、悔恨の念を込めて書いたのです。そして主を捨てて裏切った自分が、今でも主から捨てられることなく、主の働きのために用いられていることを感謝し、喜びに心打ち震える思いで、それを書き加えたのです。失敗した者、挫折した者をそれでも切り捨てることなく赦し、愛し、用いてくださる、主の深い憐れみに支えられながら、この憐れみの主を宣べ伝えるために、マルコはペトロと共に東奔西走していった、そしてペトロの死後、それを福音書にまとめていったのです。ペトロは晩年、このマルコを「わたしの子」とさえ呼んで信頼しました。そしてローマにいたペトロの許にいて、ペトロの協力者として手紙に名を連ねていきます(1ペトロ5章13節)。仲違いしたパウロとも和解することができました。マルコの名はパウロの手紙の中で三回触れられて、その後パウロとの関係が修復されたことを示します。マルコは後にパウロの弟子ともなって、パウロと共に共同の働きを担うことになるのです。コロサイの手紙(4章10節)とフィレモンへの手紙(24節)においては、マルコはパウロと共にいます。そして晩年、再び獄に入れられていたパウロは、「わたしの務めのために役に立つ」(2テモテ4章11節、口語訳)として、自分の許に連れてくるようにとテモテに依頼します。こうしてマルコは、信仰の失敗者、働きの挫折者から、役に立つ者へと立ち上げられ、やり直しをすることが許されたのでした。


3.パウロの福音宣教の協力者となったシラス

 次にシラス(シルワノ)です。シラスは具体的な人物像を描くのが難しく、他の働き人と比べて陰の薄い存在のようですが、しかしそこにシラスらしさがあると言えるのかもしれません。シラスがパウロと出会ったのはエルサレム会議のときで、そこでは、ユダと共にエルサレム教会からの使節として、パウロ・バルナバに同行してアンティオキアに下り、その会議で決定されたことの手紙を読み上げると共に、それを口頭で説明する役割

を担います(使徒15章22、27節)。彼はエルサレム教会で指導的な立場にあり、預言する者でもありました(同32節)。その使命を果たしたシラスは、パウロの同伴者として第二回伝道旅行に同行することになり(同40節)、そこでの苦労をも分かち合うことになっていきます。フィリピでは、占いの霊に取りつかれた女奴隷を解放したことがあだとなって、二人は広場に引き立てられ、服を剥ぎ取られて鞭で打たれます。さらに足に木の足枷をはめられた上、いちばん奥の牢に入れられてしまいます。しかしそこで二人は賛美し、祈ります。すると大地震が起こって、看守を信仰に導くきっかけとなります(16章16~40節)。次に向かった先はテサロニケで、そこで福音宣教したことでテサロニケに教会が生み出されます。ところがそこでパウロたちに敵対するユダヤ人たちからの暴行を受けそうになり、ベレアへと逃れます(17章1~10節)。そのベレアでも福音宣教し、多くの人が信仰に導かれますが、それを知ったユダヤ人たちが、ベレアにも押しかけて来たため、パウロは海岸を経てアテネへと逃れることになります。しかしシラスはテモテと共にベレアに留まり、教会の形成に励むことになります(11~15節)。一方パウロはアテネ、コリントまで足を延ばし、アキラとプリスキラと出会ってそこに住み込みながら伝道します。そこにシラスとテモテがやって来て、1年6ヶ月に渡る働きの後、エフェソへと赴きます(18章1~18節)。その後のシラスの動向は分かりません。もしかしたらパウロの後を引き継いで、コリント教会の形成に尽力したのかもしれません。


 このコリントの教会に宛てた手紙の中で、「わたしたち、つまり、わたしとシルワノとテモテが、あなたがたの間で宣べ伝えた神の子イエス・キリスト」と記されます(2コリント1章19節)。またこのコリントからパウロが書いた、テサロニケ教会宛ての二通の手紙の中で、シラスはテモテと共に共同の差し出し人として名を連ねます(1・2テサロニケ1章1節)。さらにペトロとも交流があったようで、その手紙の中でペトロから「忠実な兄弟として認めているシルワノ」と言及されています(1ペトロ5章12節)。ペトロの手紙の口述筆記を手助けしたのがシラスでした。こうしてシラスは、パウロとペトロという二人の偉大な伝道者の陰に隠れた存在でしたが、彼はいわば陰から彼らの伝道を助けていき、良き同労者として福音宣教のために協力を惜しむことがなかった本当に忠実な兄弟でした。誰もがパウロになったら、伝道は成り立ちません。誰かがパウロを背後から助け、横にあって協力していったから、パウロがパウロらしく奉仕していくことができました。誰もがペトロになりたがったら、教会は成り立っていきません。誰かがペトロを励まし、助けたから、ペトロはペトロの使命を果たすことができました。こうやってそれぞれが自分の果たすべき分をわきまえて、自分の務めに忠実に果たしていくことで、福音宣教は進展していき、教会は形成されていくのです。わたしたちも、自分がパウロやペトロのようになろうとするのではなく、そのように立てられた人を盛り立て、助け、協力することで、目立たない働きであるとしても、それが自分の務めであるなら、それを喜んで担い、自分の働きを果たしていく忠実な働き人でありたいと思います。


4.主イエスに対して真実な働き人

 さて、このシラスと共にリストラにやって来たパウロは、そこで有能な青年を見いだし、協力者として伝道旅行に同行させることにします。それがテモテでした。ティモテオス、「神を畏れ敬う人」という意味ですが、テモテはまさにその名のとおりの人物でした。この時よりパウロに付き従って以来、テモテは最後までパウロに、そして主イエスに忠実に歩んでいきます。ただ伝道旅行に随行しただけではなくて(使徒16章3節、17章

15節、18章5節、19章22節、20章4節)、旅行の折々、問題のある教会にパウロの代理として何度も遣わされていきます。テモテは、パウロの働きを代りに果たしていくことができる、有能であるだけではなくて忠実な弟子でもあり、パウロはテモテに絶大な信頼を寄せることができました。だからテモテは、パウロの6通の手紙の中で、共同差出人として名を連ねます(2コリント、フィリピ、コロサイ、1・2テサロニケ、フィレモン)。

パウロの意を挺してテモテが派遣された教会は、コリント(1コリント4章17節、16章10~11節)、フィリピ(2章19、23節、使徒19章22節)、テサロニケ(1テサロニケ3章2、6節)、ベレア(使徒17章14節)でした。テモテはパウロにとって、「わたしの愛する子」(1コリント4章17節、2テモテ1章2節)、「信仰によるまことの子」(1テモテ1章2、18節)、自分が産んだ信仰の子、弟子でした。またパウロ自身が按手するこ

とで伝道者として立てた(1テモテ4章14節、6章20節、2テモテ1章6節)、最も信頼できる片腕、腹心、福音の同労者でもありました。使徒16章2節では「彼は、リストラとイコニオンの兄弟の間で評判の良い人であった」と紹介されます。彼は、大変有能で将来有望なだけではなく、人々から高い評価を受けるほど熱心で忠実な青年だから連れて行ったわけですが、そこでの彼の有能さと忠実さ、そして評判の良さというものがどのようなものであったかを考える必要があります。1コリント16章10節では「わたしと同様、彼は主の仕事をしている」と語られます。「彼は主の仕事をしている」。当たり前ではないかとお考えかもしれませんが、実はそうではないということが、この「主の仕事」という言い方に込められています。「主の仕事」ではないとしたら何か、それは「自分の仕事」です。誤解のないようにお話ししなければなりませんが、ここで「自分の仕事」と言うのは、教会の仕事とは違うこの世での仕事のこととか、牧師や長老という教会の職務とは違うこの世の職業のことを指しているのではありません。皆、主の奉仕者であり、教会の働き人、ですから教会の仕事を果たしている人たちについて語っているのです。そして外目には同じ福音宣教の働きであり、それは見た目には大きな働きでさえありました。しかしパウロはそれを「主の仕事」ではなくて「自分の仕事」と見抜きます。何が違うのでしょうか。


 フィリピ教会に対しては、「テモテのようにわたしと同じ思いを抱いて、親身になってあなたがたのことを心にかけている者はほかにいないのです。他の人は皆、イエス・キリストのことではなく、自分のことを追い求めています。テモテが確かな人物であることはあなたがたが認めるところであり、息子が父に仕えるように、彼はわたしと共に福音に仕えました」と紹介します(フィリピ2章20~22節)。この微妙な言い方に注意してください。「息子が父に仕えるように」ときたら、次は「彼はわたしに仕えました」と続かなければおかしいのです。しかしパウロはそう言わず、「彼はわたしと共に福音に仕えました」と語るのです。そしてここにテモテの真の忠実さを見ることができるのです。テモテはパウロが、「わたしの愛する子」、「信仰によるまことの子」と呼ぶようにパウロが産んだ信仰の子であり、パウロ自身が按手して伝道者として立てた福音の同労者でした。だからパウロはテモテを「キリストの福音のために働く神の協力者」とも紹介します(1テサロニケ3章2節)。しかしそれは、彼がパウロの言いなりになり、思い通りに動いてくれるイエスマンだったからというのではなく、テモテがパウロ以上に主イエスを思い、主イエスご自身に忠実な働き人だったからでした。彼を信頼することができ、用いてきたのは、彼が真実にキリストの思いを自分の思いとして生きる働き人だったからでした。そしてそれはパウロも同じだからこそ、「彼はわたしに仕えました」ではなくて、「彼はわたしと共に福音に仕えました」と語ったのです。ここにはこうしたテモテやパウロとは違う働き人の姿が記されています。それは「他の人は皆、イエス・キリストのことではなく、自分のことを追い求めています」という言葉に集約することができる人たちでした。パウロがこの手紙を書いたとき、彼は投獄されていました。ところがそのパウロの苦境を喜ぶ者がおり、パウロに敵対し、離反する者さえいました。そこではパウロに対する妬みや敵愾心から、福音を宣べ伝える者もいたことも明らかにされます。「キリストを宣べ伝えるのに、ねたみと争いの念にかられてする者もいれば、善意でする者もいます。一方では、わたしが福音を弁明するために捕らえられているのを知って、愛の動機からそうするのですが、他方は、自分の利益を求めて、獄中のわたしをいっそう苦しめようという不純な動機からキリストを告げ知らせているのです」(フィリピ1章15~17節)。信じられないことですが事実です。彼らは異端の教師ではありません。パウロと同じイエス・キリストの福音を語る働き人でした。同じ教会の働きを共に担っていた同労者たちでした。そして同じ福音宣教の働き、教会の業を担っていたのであり、外目には同じでした。しかし全く違う働きをしているとパウロは見抜きます。何が違うか、動機です。


 ここで覚えていただきたいことは、主に対する奉仕にとって大切なことは、「何をしたか」ではありません。「何をしようとしたか」なのです。この違いが分かりますか。「何をしたか」という結果が問題なのではなくて、「何をしようとしたか」という動機が問題なのです。外目には同じ福音宣教の尊い働きをしていたわけですが、他の働き人たちは、それを主イエスのためではなく、自分のために果たしていたのです。彼らは不熱心な人たちだったのではありません。とても熱心に奉仕していたのです。しかしそれは何に対する熱心であったかどうかが問題なのです。パウロに敵対し、教会をパウロから引き離そうとした奉仕者たちも熱心でした。彼らは教会の中で別のことをしていたわけではなく、みな同じ教会の働きでした。しかしそれは何のためだったかというと、自分自身のためでした。自分が好きで、自分がしたいことだったからした、つまり自己満足のためでした。自分の熱心さを見せびらかし、教会の中でそれなりの信頼や、地歩を得るためでした。自分が有能な働き人であることを認めてもらい、評価されるためでした。だから彼らも熱心に働きましたし、それは見た目には大きな働きでさえありました。しかしそれは自分のためであって、キリスト・イエスのためではなかった、だからパウロは、「他の人は皆、イエス・キリストのことではなく、自分のことを追い求めている」と言ったのです。それは自分に対する熱心であって、主イエスに対する熱心ではありませんでした。しかしこのような働き人たちの働きであってもパウロは喜んだと語ります。「だが、それがなんであろう。口実であれ、真実であれ、とにかく、キリストが告げ知らされているのですから、わたしはそれを喜んでいます。これからも喜びます」と(同18節)。これが本当の奉仕者の姿ではないでしょうか。


5.「主の仕事」を果たすことへの召し

 このように「他の人は皆、イエス・キリストのことではなく、自分のことを追い求めている」という現実の中にあって、テモテはパウロに仕え、主イエスと福音に忠実に仕えていきました。このようにテモテがパウロに忠実だったのは、パウロと共に徒党を組み、派閥を形成して、教会の中でのパウロ派の影響を高め、派遣争いや権力闘争をするためではありませんでした。テモテは、真実にキリストの思いを自分の思いとして生きる働き人であり、だからパウロはテモテについて、「わたしと同様、彼は主の仕事をしている」と断言することができたのです。テモテが担っていたのは、パウロの仕事ではなく、「主の仕事」だったからでした。他の働き人たちが自分自身のことばかりに意を尽くしている時に、パウロはあちらこちらの教会のやっかいな問題を抱えて苦しんでいました。外からの度重なる迫害と苦しみに加えて、「その上に、日々わたしに迫るやっかい事、あらゆる教会についての心配事があります。だれかが弱っているなら、わたしは弱らないでいられるでしょうか。だれかがつまずくなら、わたしが心を燃やさないでいられるでしょうか」(2コリント11章28、29節)とパウロは語りました。このようにキリストを思い、キリストのからだである教会を思う、そのパウロの心と「同じ思いを抱いて」、心を尽くして教会に仕え、福音のために労苦したからこそ、パウロは彼を信頼することができたのでした。そこでパウロは、コリント教会にテモテを遣わすにあたって、次のように彼を紹介しました。「彼はわたしの愛する子で、主において忠実な者であり、至るところのすべての教会でわたしが教えたとおりに、キリスト・イエスに結ばれたわたしの生き方を、あなたがたに思い起こさせることでしょう」と(1コリント4章17節)。彼は「主において忠実な者」なのでした。テモテが「リストラとイコニオンの兄弟の間で評判の良い人」(使徒16章2節)だったのは、ただ単に熱心であるとか、有能で役に立つとか、自分の思い通り、言いなりに動いてくれるからということではなく、テモテこそ真実に忠実な「キリストの僕」だったからでした。パウロが晩年、再びローマの獄につながれたときにも、多くの信仰者、そして弟子たちがパウロの許を去り、離れていく中にあって、テモテだけは獄で苦しむパウロに真実を尽くします(2テモテ1章15節)。そのテモテに、パウロは最後の願いを託します。「マルコを連れて来てください。彼はわたしの務めをよく助けてくれるから」と(同4章11節)。マルコ、主を裏切り、伝道を途中で投げ出して帰ってしまったマルコです。かつては役立たずだった失敗者、挫折した奉仕者が、今は役に立つ者となったからと。それは、若いマルコのこれからを、テモテに託すということでもありました。この後すぐに処刑されるパウロは、マルコの訓練をテモテに委ねていったのでした。この後テモテがどのように歩んだかは明らかではありませんが、ヘブライ人への手紙では、後にテモテも投獄され、そしてそこから釈放されたことが記されています(13章23節)。テモテは、最後の最後まで福音に忠実な、キリストの僕として歩んでいったのでした。


 わたしたちにも、同じことが求められています。信仰や奉仕に熱心な人が、必ずしも主に対しても忠実であるとはかぎりません。その熱心さが何のための熱心さか、誰に向けられ、どこに向けられた熱心さかが問われるからです。わたしたちの信仰生活はどうでしょうか。わたしたちの奉仕はどうでしょうか。わたしたちの熱心さの背後にも、こうした肉の思いがびっちりとこびりついていないでしょうか。キリストではなく自分への熱心さから来る忠実さでないかどうか、深く問い直すことが大切ではないでしょうか。パウロは、自分から引き離そうと画策する働き人のために迷っているガラテヤ教会に、「あの者たちがあなたがたに対して熱心になるのは、善意からではありません。かえって、自分たちに対して熱心にならせようとして、あなたがたを引き離したいのです」と忠告しました(ガラテヤ4章17節)。彼らは、自分の味方、自分のファンを増やすために熱心に働いたのであって、キリストの味方、キリストのファンを増やすためではなかったのでした。パウロは違いました。テモテも違いました。「わたしの子供たち、キリストがあなたがたの内に形づくられるまで、わたしは、もう一度あなたがたを産もうと苦しんでいます」とパウロは語りました(同4章19節)。パウロが熱心に奉仕したのは、彼らの内に「キリストが形づくられていく」ことのためでした。パウロは、自分の味方・ファンを増や

し、自分自身と結びつけるために奉仕したのではなく、彼らがキリストご自身と結び合わせられていくように奉仕したのです。だからパウロは語りました。「わたしたちは、自分自身を宣べ伝えるのではなく、主であるイエス・キリストを宣べ伝えています。わたしたち自身は、イエスのためにあなたがたに仕える僕なのです」(2コリント4章5節)と。わたしたちの信仰生活、そしてわたしたちの奉仕は、どうでしょうか。それはどこに向けられ、何に熱心な働きなのでしょうか。教会の中で、自分のしたいことをするのが奉仕なのでしょうか。自分を満足させるための自分の仕事ではなく、「主の仕事」をするのが奉仕ではないでしょうか。そしてわたしたちは、「主の仕事」をするために、自分の肉の思いを主に委ね、自分を主に明け渡し、自分ではなく主が自分の主となってくださるように、そうして主の僕として自分を神に献げていくことこそが、信仰生活なのではないでしょうか。わたしたちは、自分の仕事ではなく、「主の仕事」をするために、召し出されたのです。