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第26課 上との契約への招き-割礼と洗礼

キリストのすばらしさに捕らえられてー使徒パウロの生涯


第26課:神との契約への招き-割礼と洗礼(使徒言行録14章27節~15章1節、2011年8月28日)


《今週のメッセージ:神との契約を結び、その祝福にあずかる(ローマ9章4、5節)》

 イエス・キリストの救いにあずかるためには「割礼」が必要かという問題に、パウロは否と答えました。確かにこの答は間違っていません。わたしたちは律法によってではなく、また割礼によってでもなく、イエス・キリストを信じる信仰によって救われます。しかしこうして、今日においてはあまりにも当然となっている答のため、この問題を深く掘り下げることをせず、ここで問題となっていることは何かを問うことがありません。割礼とは、神がアブラハムの子孫と結んだ契約のしるしでした。ですから割礼を受けるとは、神と契約を結び、神との契約関係に入ることを意味します。それによって神がアブラハムに与えられた約束(契約)が果たされていくことになるのであり、それは神の子とされるための必須条件でした。わたしたちは、神と契約を結び、アブラハムの子孫、神の民イスラエルに加えられることで、神の救いにあずかり、その祝福を享受できるようになります。割礼を不要とするとは、そうした神との契約関係も、契約に基づく祝福も不要とするということになるのでしょうか。今日この割礼は、洗礼にとって換えられました。だからわたしたちは、洗礼によって神との契約関係に入り、聖餐によってそれを更新し続けていくのです。


1.第一回伝道旅行と使徒会議の間の出来事

 第一回伝道旅行から戻ったパウロたちは、「到着するとすぐ教会の人々を集めて、神が自分たちと共にいて行われたすべてのことと、異邦人に信仰の門を開いてくださったことを報告」します(使徒14章27節)。「そして、しばらくの間、弟子たちと共に過ごした」わけですが(同28節)、その間に大きな問題が持ち上がってきます。それは「ある人々がユダヤから下って来て、『モーセの慣習に従って割礼を受けなければ、あなたがたは救われない』と兄弟たちに教えていた」ということでした(同15章1節)。使徒言行録は、それに引き続いて、エルサレムで使徒会議が開催され、その問題についての解決が諮られていく様子が伝えられていきます。この問題は、イエス・キリストの福音がユダヤ人に限定されていた間は生じることのなかった問題で、しかしそれが異邦人ヘと広げられたことによって起きてきたものでした。福音が広げられ、伝道が拡大していくことは、神の祝福です。しかしそうした祝福の背後で、そこに新たな問題が生じるようになるということも事実です。しかし主は、そうした問題をも教会が乗り越えていく知恵と力を与えてくださることで、さらにご自身の働きを進めていかれると共に、教会を祝福してくださるのです。ただそのことを考えるためにも、ここで使徒言行録が記していない、しかしパウロ自身が伝える出来事を挿入する必要があります。これまで何度も使徒言行録やパウロの生涯についてのお話しをしてきましたが、今回またこれに挑戦した理由の一つは、これまでの説明を大きく変更したいと考える点があるからでした。あらかじめお配りした「パウロの生涯のアウトライン」と「学習ガイド」は、これまでの説明の順序のままになっています。その中で位置が大きく変わる点が分かるように、番号をそのままにして順序を入れ替えたアウトライン変更版を別紙としてお配りしましたので、ご参照ください。大まかに言うと、ガラテヤ書2章1~10節に記されているエルサレム訪問は、いつの時点のものかということと、その後(11~14節)に記されているパウロがペトロと衝突する事件(アンティオキア事件)、さらにはガラテヤ書がいつ書かれたかという点で大きく変更するということです。


 これまでの説明では、ガラテヤ書2章1~10節のエルサレム訪問を、使徒言行録15章に記されているエルサレム使徒会議と同じものとしていました。そしてアンティオキア事件は、その会議の直後に起きた問題であり、その事件を記したガラテヤ書は、パウロが第二回・第三回伝道旅行で訪れたガラテヤ・フリギヤ地方の北部ガラテヤで設立したであろう教会に宛てた手紙で(北ガラテヤ説)、執筆されたのは第三回伝道旅行のエフェソ滞在中としてきました。そしてパウロがこうした北部ガラテヤ地方に伝道した機会となったのは、そこで彼が病気になったからということが理由だと考えてきました(ガラテヤ4章13節)。これが一般的な理解となっていますが、今回はその説明を大きく変更したいと考えています。まずガラテヤ2章のエルサレム訪問は、使徒会議のことではなく、使徒言行録11章27~30節に記されている、飢饉に対する災害援助としてエルサレムを訪問した際の出来事であること、またガラテヤ書が書き送られたガラテヤの教会とは、第一回伝道旅行によって設立した、ピシディアのアンティオキア、イコニオン、リストラ、デルベの教会であり(南ガラテヤ説)、それらの地方に伝道に赴いた原因こそ、パウロ自身が語っている彼の病気によるものであったということです。さらにペトロと衝突したアンティオキア事件は、この伝道旅行の直後に起きた出来事であり、それを受けてこの伝道旅行で廻ってきたばかりの教会に、ガラテヤ書を書き送ったと理解します。大まかの順序を言うと、これまでは「第二回エルサレム訪問(飢餓救援)→第一回伝道旅行→第三回エルサレム訪問(使徒会議、ヤコブ・ペトロ・ヨハネとの会談)→アンティオキア事件→第二回伝道旅行→第三回伝道旅行(ガラテヤ書執筆・北ガラテヤの教会へ)」という順序でしたが、今回は「第二回エルサレム訪問(飢餓救援、ヤコブ・ペトロ・ヨハネとの会談)→第一回伝道旅行→アンティオキア事件→ガラテヤ書執筆(南ガラテヤの教会へ)→第三回エルサレム訪問(使徒会議)→第二回伝道旅行→第三回伝道旅行」という順序でお話ししていくことにいたします。ですから、使徒言行録14章27節~15章1節と2節以降の間に、「アンティオキア事件」と「ガラテヤ書執筆」があり、それを踏まえて「使徒会議」(15章2節以下)がなされ、それが解決されることで「第二回伝道旅行」へと出発するということになります。

〔これまでの説明の順序〕

 第二回エルサレム訪問(飢饉救援)

    ↓   

 第一回伝道旅行

    ↓ 

  第三回エルサレム訪問(使徒会議)

  ヤコブ・ペトロ・ヨハネとの会談

    ↓

 アンティオキア事件

    ↓

 第二回伝道旅行

    ↓

 第三回伝道旅行

  ガラテヤ書執筆(北ガラテヤの教会)

 

〔これからの説明の順序〕

 第二回エルサレム訪問(飢饉救援)

  ヤコブ・ペトロ・ヨハネとの会談

    ↓

 第一回伝道旅行

    ↓

 アンティオキア事件

    ↓

 ガラテヤ書執筆(南ガラテヤの教会)

    ↓

 第三回エルサレム訪問(使徒会議)

    ↓

 第二回伝道旅行

    ↓

 第三回伝道旅行

 


2.救いに「割礼」は必要か

 こうした一連のすべての出来事の発端は、「ある人々がユダヤから下って来て、『モーセの慣習に従って割礼を受けなければ、あなたがたは救われない』と兄弟たちに教えていた」ことにありました。そしてそのことは、すでに第一回伝道旅行の前、飢饉で苦しむエルサレム教会を救援するために訪問した、第二回エルサレム訪問のときから問題となっていたことでした。ですからガラテヤ書2章1~10節に記されているエルサレム訪問は、使徒15章にある使徒会議ではなく、飢饉救援のためにエルサレムを訪問した際、パウロとバルナバが、個人的にエルサレム教会の柱となっていたヤコブ・ペトロ(ケファ)・ヨハネの三人と会談し、合意を得た出来事だったと理解します。そこに記されていることは会議の様子ではなく、どこまでも私的懇談ないしは協議といった性格のものですし、それは「啓示」で上京したとされていますが(ガラテヤ2章2節)、それはアガボの預言によって促された(使徒11章28節)ことと一致するからです。なによりここでも問題となったのは、割礼問題でした。この第二回訪問までパウロは、タルソスを中心としたキリキアでの宣教と、バルナバに連れられてからはアンティオキアを中心としたシリアでの宣教を活発に続けていました(ガラテヤ1章21節)。そしてそこでの伝道は、異邦人に割礼を課すことをしない伝道だったことでしょう。しかしそのことがエルサレム教会、とりわけその中心となっていたヤコブ・ペトロ・ヨハネの三人に受け入れてもらえるかどうか、不安な思いがあったようです。そこでエルサレムを訪問した際、彼らと懇談し協議するわけでした。


 しかしそこでは一緒に連れていったテトスにさえ割礼を強要されることがなく、むしろこの三人の方からパウロに手を差し出して、彼らの語る福音が一致していることを確認してくれたのでした(2章9節)。そして貧しい人に対する援助が要請されますが、それはまさにそのときエルサレムの貧窮者に対する救援として訪問したからで、このような慈善をこれからも継続することが求められたということと考えられます。パウロはそれをずっと守り続けていくことになるわけですが、このような伝道の合意ができたからこそ、それを踏まえて第一回伝道旅行へと旅立っていくことになります。そこでの異邦人への伝道は、パウロが何の承認も得ないまま、自分で勝手に行ったものではなくて、エルサレム教会の指導者たちの同意と承認を得る中で、それを前提にして行っていったものということができます。いずれにしてもここでは割礼は問題とはならず、異邦人に割礼なしで伝道するというパウロの伝道については、指導者との間では合意が成り立っていました。しかしそのような指導者の指導に同意せず、それを不服とする一部の人たちがいて、問題となっていったわけです。そしてそうした問題でアンティオキア教会が紛糾する中に、ペトロが来たことで、アンティオキア事件が起こるわけです。そこでさらに紛糾する中、今度はせっかく苦労して伝道してきた南ガラテヤ地方の教会が反旗を翻し、律法へと舞い戻ってしまったという知らせを聞き、パウロはそれらの教会に手紙を書き送ることになる、それがガラテヤ書ということです。そしてこうしたもろもろの問題を解決するために、エルサレムで使徒会議が開催されるということになっていくのです。ですから使徒言行録15章1節と2節の間に、これらの一連の出来事を挿入して、問題の全体を考えていきたいと思います。

 

 こうして、先ほど述べたように、これらの一連の出来事の発端は、異邦人に割礼を受けさせるべきかどうかということでした。「モーセの慣習に従って割礼を受けなければ、あなたがたは救われない」という主張が是か非かということが問題でした。この問題の背後には、当時のユダヤ教への入信との対比がありました。ピシディアのアンティオキアでパウロが説教したように、ユダヤ教会堂には「イスラエルの人たち、ならびに神を畏れる方々」「アブラハムの子孫の方々、ならびにあなたがたの中にいて神を畏れる人たち」の二種類がいました(13章16、26節)。イスラエル、アブラハムの子孫とは、単に民族的なユダヤ人のことだけを意味するのではなくて、異邦人としての汚れを取り去る沐浴(洗礼)を受けた上に、律法を遵守することを誓約し、割礼を受けることでユダヤ教に完全に帰依した異邦人もユダヤ人、アブラハムの子孫、イスラエルの民と見なされました。それに対して、そこまではできかねるけれども、生活の中でできる限り律法を守り、礼拝を守ることでユダヤ人に近い生活をし、まことの神への信仰に帰依することを表明している人たちは、「神を畏れる人」として、同じように会堂に受け入れられていました。ユダヤ人であるとは、民族的にユダヤ人であるというだけではなくて、異邦人であってもユダヤ教に完全に帰依すれば、ユダヤ人とみなされたのですが、そのしるしこそ割礼を受けることでした。ユダヤ教が民族的なユダヤ人に限定されていた間は、このような問題はなかったわけですが、主イエスもファリサイ派の伝道について、「改宗者を一人つくろうとして、海と陸を巡り歩く」と指摘しておられるとおり、当時のユダヤ教は異邦人伝道に熱心だったようです。そこでユダヤ人と接する多くの異邦人がユダヤ教に魅力を覚えて、会堂に集うようになり、やがては信仰を抱くに至るわけですが、そこで区別がつけられたわけです。そしてその区別こそ、割礼を受けるかどうかだったのでした。このようにユダヤ教では、完全にユダヤ教徒として受け入れられるために割礼が求められたわけですが、そのようにキリストを信じる者たちも、同じイスラエルの民となるためには、まず割礼を受ける必要があるというのが、彼らの言い分でした。当時はまだユダヤ教とキリスト教の区別はなく、キリスト教はユダヤ教の一分派と見なされていましたし、当初のキリスト者は圧倒的にユダヤ人キリスト者が多数を占めていたからでもありました。ユダヤ人がユダヤ人としてキリスト者になるように、異邦人もまずユダヤ人となることによってキリスト者となりうるというのが彼らの主張で、そのためにはまず割礼を受けるべきだというのでした。この主張と戦ったのがパウロで、パウロはこうした律法主義的キリスト教と生涯に渡って全面的に戦っていくことになります。そしてまたここで教会が下した

結論も、異邦人がキリスト者となるためには、割礼を受ける必要はないというものでした。

 

3.「割礼」において求められたこと

 わたしたちはこの結論を当然のものと見なしているために、この割礼問題については、そこでの問題を深く考えることもなく、当然のこととして軽く流して次に進もうとします。もちろんこの結論、つまり異邦人がキリスト教に入るために割礼を受ける必要はないということ自体は間違った結論ではありません。しかしそこで問題になったことが何かということを、もっと掘り下げて考える必要があります。彼らが割礼にこだわったのは、彼らが伝統を墨守しようとするばかりの頭の硬い人たちであったからとか、形式ばかりにこだわる心の狭い人たちであったからというだけではない問題が、ここにはあります。その点を考えることなく、当然のこととしてこの問題を流してしまうことに、もっと大きな問題があります。そもそも割礼とは、男性の生殖器の先端に傷をつけることですが、それは神がアブラハムとその子孫との間に結ばれた「契約」を、その体にしるしづけるものでした。その「契約」とは、全能の神がアブラハムとその子孫たちの神となってくださり、その契約のゆえに彼らを祝福してくださるというもので、その見えるしるしが割礼でした(創世記17章1~14節)。ですから割礼を受けるとは、それによって神と契約を結び、その契約に入ることを意味しました。逆に割礼を受けないということは、神との契約には入らないことを明言することであり、イスラエルの民でそうしないということは、ユダヤ人であることを否定することですから、民族から断たれる(排除される)ことを意味しました。紀元前2世紀に起きた、アンティオコス・エピファネスによる徹底したギリシャ化政策とそのためのユダヤ教弾圧以来、割礼を受けるということはユダヤ人であることの絶対不可欠なしるしと見なされてきました。ユダヤ人の中でギリシャ的な生活に傾倒する者の中には、自分の割礼の跡を手術によって消したり、自分の子供に割礼を授けない親が出てきていました。そうした世俗的な風潮が蔓延する中で、イスラエルの信仰に堅く立ち、その伝統に従って正しく生きようとする信仰熱心な人たちが立ち上がります。そうした敬虔な信仰者、まことのユダヤ人であることのしるしこそ、割礼を受けるということなのでした。ですから割礼を要請するということは、形式的なことだとか、伝統を墨守するということだとは言えない、イスラエルの信仰に対する熱心と忠実の表れという面を含んでいました。パウロ時代のユダヤ人にとっては、割礼を受けるということは、ユダヤ人がユダヤ人であるということの証しであり、神への熱心と忠実を表明するしるしに他なりませんでした。

 

 そこでキリスト教に入信しようとする異邦人に対しても、ユダヤ教で求められたことと同じことが求められたということができます。しかし異邦人が割礼を受けるということは、大変な決断です。だからそこにまで至れない多くの人がいたから「神を畏れる人たち」という階層が生じたわけです。それはユダヤ教がユダヤ人だけであった時代には考えられないことで、異邦人へと伝道が広げられて、異邦人ユダヤ教徒が生まれるようになってからの問題です。そこでどれほど深くユダヤ教に傾倒し、それに帰依したいと願っても、割礼を受けることまで踏み込むことはできない、けれどもユダヤ教の信仰は持っていたい、そういう人たちが「神を畏れる人たち」として会堂を出入りしていたわけです。ユダヤ人は生後八日目に割礼を受けましたから(フィリピ3章5節)、それほど問題ではありませんでした。しかし成人になってからユダヤ教に接し、改宗したいと考えるようになった異邦人にとっては、それは大きな問題でした。それがどれほど苦痛に満ちたものであるかは、かつてヤコブの息子シメオンとレビが妹ディナを取り戻すため、シケムの人々を騙し打ちにしたときの様子に表されています。彼らは割礼を受けたシケムの男性たちが、まだ「傷の痛みに苦しんでいたとき」、彼らを襲って皆殺しにしてしまうことができたのでした(創世記34章25節)。またギリシャ人の生活に欠かせない日常の体育競技は、全裸で行いましたから、割礼を受けるとそれがあらわになります。それは嘲笑の的となり、人々からの屈辱を受けることになりました。ですから彼ら異邦人にとって、割礼は、彼らの信仰と帰依度が試される試金石であり、割礼を前にして、異邦人のユダヤ教帰依者は二つに分けられていきました。このように割礼は、ユダヤ教信仰の前に立ちはだかる、大きな関門だったと言うことができます。だからそれを越えられた者こそ、正しいユダヤ教徒として受け入れられるのであり、それがキリスト教信仰にも求められたのでした。それはつまり、それほどの大きな決断をし、犠牲を払ってでも、キリスト教信仰に殉じる覚悟があるかどうか、その覚悟の程が試され、求められたということでした。パウロの、割礼抜きのキリスト教がユダヤ人を中心に強く反対された理由の一つは、ここにあると考えられます。割礼なしで誰でもキリスト者として受け入れられるとしたら、その信仰は非常に安易なものとなるということです。そしてこの点が、わたしたちにおいてもないがしろにされていることではないでしょうか。つまり信仰が、「安易な恵み」(ボンヘッファー)と化してしまっているということはないかどうかということです。

 

4.神との契約関係に入る

 しかしさらにここには、そうした信仰の熱心さや忠実さ、覚悟の程といった主観的な問題以上のことがありました。割礼とは、それによってアブラハムの子孫に迎え入れられるということです。それによってイスラエルの遺産を受け継ぐ者とされ、アブラハムに対する約束(契約)を引き継ぐ者とされるのです。割礼を受けるとは、それによってユダヤ人となる、つまり神の民イスラエルに加えられるということで、その点で彼らの主張が誤っているということはできませんし、一概にしりぞけられるべきものでもありません。それはキリスト者になるということで、イスラエルの遺産を継承する者となるという、客観的な身分上の大切な契機を含んでいるということでもあるからです。割礼とは、アブラハム契約に加えられるしるしでした。それによって、神がアブラハムとその子孫であるイスラエルと約束したことのすべてを受け継ぐ者とされていく、大切な契約のしるしでした。ですから割礼を受けないとは、そうしたイスラエルに対する神の約束のすべてをしりぞけ、否定することになり、それを受け継がない者となるということです。これは由々しい問題ではないでしょうか。今日においても神のイスラエルに対する契約は有効で、「神の子としての身分、栄光、契約、律法、礼拝、約束は彼らのものです。先祖も彼らのものであり、肉によればキリストも彼らから出られた」のでした。そしてこの約束は今日でも「効力を失ったわけではありません」(ローマ9章4~6節)。アブラハムの子孫、つまりイスラエルを通して神の祝福がこの世にもたらされ、全ての人に及ぼされていくという約束(創世記12章1~3節)は、今日でも有効なままです(使徒3章25、26節)。わたしたちは、アブラハムの子孫となってイスラエルに接ぎ木されることで、はじめて神の祝福にあずかることができるようになります。そしてそのためのしるしが割礼でした。それは、わたしたちが神との契約に入るということの目に見えるしるしであり、体に刻み付けられた契約のしるしでした。割礼を必要としないということは、わたしたちはもはやその神との契約も不用とするということになってしまうのではないでしょうか。

 

 しかしそうではなくて、実は割礼が洗礼に換わったというのが、パウロの理解であり、当時の教会の理解であり、それは今日においてもそうだということなのです。割礼という、ユダヤ教の旧態依然とした古臭い儀式、異邦人にはなじめない儀式がなくなったという問題ではなく、それがキリストの名による洗礼にとって換えられたのです。ですから洗礼が意味し、約束することは、割礼と同じだということです。つまりそれは神との契約のしるしであり、わたしたちは洗礼を受けることによって、神と契約を結び、契約関係に入ることを意味するのです。逆を言えば、信仰というのは、自分が入りたくなって入り、いやになったら簡単に捨ててもかまわないという類のお手軽なものではないということです。神と契約を結び、生涯その契約関係の中で生きていくということで、その最初の出発が洗礼です。ですから洗礼を受けるということは、それ以降は生涯、主イエスを主として崇め、主と共に生きていくことを決心し、誓約し、それを維持するために努力するということを意味します。契約関係ということを身近に考えるなら、それは結婚関係ということです。主イエスを花婿として迎え、その方の花嫁となるのです。だから嫌になったら、その関係を簡単に解消してよいということはありません。それはあまりにも無責任です。結婚するとは、相手に対する責任を生涯負い続けていくということです。けれどもそこで忘れてはならないのは、この花婿はとても寛大で優しく、心の広い大きな方だということです。わたしたちが、どれほど不忠実で情けない花嫁にすぎないかを、わたしたち以上によくご存知です。それをご存知の上で、厳しく叱るのではなく、なじるのでもなく、弱さに応じてわたしたちを守り、導いて、ご自身の大きな愛の中でいつも包み込み続けてくださる方なのです。わたしたちの心は心変わりしていき、この方に対する熱心と愛は薄らいでいきますが、この方のわたしたちに対する愛と熱心は決して変わることがありません。そしてご自身の大きな愛と恵みの中で守り続け、支え続け、導き続けていってくださるのです。

 

5.主との契約を更新し続けていくこと

 信仰とは、このように神との契約関係であることを覚えていただきたいと思います。そしてそれはただ自分一人が個人的に加入するということではなくて、神の民イスラエルという契約共同体の一員に加えられることでもあります。それが教会です。パウロが「神の子としての身分、栄光、契約、律法、礼拝、約束は彼らのものです」と言った事柄のすべては、今や教会に引き継がれています。洗礼によって教会に加入し、その一員とされることで、わたしたちもアブラハムの子孫、神の民イスラエルの一員とされ、そこでの約束を引き継ぐ者、その遺産を受け継ぐ者とされるのです。割礼を問題にした人たちが問題としたこと、それはこうした内容であったことをわきまえる必要があると思います。ただわたしたちにとっては、その割礼が洗礼に換えられたゆえに、同じ約束の内に入れられているのです。だからもはや割礼は不要となったのですが、それは神との契約関係がどうでもよいものだということではないということを、わきまえていただきたいと思います。信仰とは、神との契約関係に入り、それを維持していくということです。今日のわたしたちにとって割礼は、洗礼に換えられました。洗礼を受けることによって、割礼を受けたのと同じように、わたしたちも神との契約に入れられました。それはアブラハムと結ばれた「恵みの契約」です。今、祈祷会の後に信仰入門講座を開いていますが、先週は創世記28章にあるイスラエルの父祖ヤコブに対する神の約束を見ていきました。そこで神はヤコブにこう約束されました。「見よ、わたしはあなたと共にいる。あなたがどこへ行っても、わたしはあなたを守り、必ずこの土地に連れ帰る。わたしはあなたに約束したことを果たすまで決して見捨てない」(創世記28章15節)。ヤコブと共にいてくださる神は、たとえヤコブが神から遠く離れたとして、それでもどこまでも付き添い、連れ添っていってくださるというのです。そればかりか、必ずご自身へと立ち帰らせ、連れ戻す、さらにはその約束を果たすまで、決して見捨てないと約束してくださいました。それはたとえヤコブが神を捨てても、神はヤコブを捨てないという約束でした。洗礼によって神との契約に入ったわたしたちにも、同じことが約束されていきます。長い信仰の歩みの中で、わたしたちは神に対してどれほど熱心で忠実だったでしょうか。熱心であったときもあったでしょうが、そうではなく心において神から遠く離れてしまったときもありました。いや心ばかりではない、体においても離れてしまい、しばらく教会から遠のいてしまった時期さえあったかもしれません。それほど不実で不忠実なわたしたちですのに、そうしたわたしたちに対して神は一方的に約束してくださったのでした。たとえあなたがわたしから離れても、わたしがあなたを離れることはない。あなたがわたしを捨てても、わたしがあなたを捨てることはないと。そうしていつまでもどこまでもわたしと共にいて、わたしを守り、導き、助けて、ご自身の祝福にあずからせていってくださるのです。これが「恵みの契約」というものであり、わたしたちはこの契約に、洗礼によって招き入れられたのでした。そしてわたしたちは、生涯にわたる神との契約関係の中に生きているのです。


 それを更新するのが聖餐です。主の食卓にあずかることによって、わたしたちは繰り返し主に対する契約を覚えて、この契約を更新し続けていきます。そこでわたしたちは、パンとぶどう酒に表された主イエスの愛を覚えます。そして主イエスの十字架の血によって締結された「新しい契約」を感謝し、今度はその愛に応えて生きていこうと決心し、またキリストの僕にふさわしく生きていこうと心新たに約束します。ですから聖餐式のある礼拝は大切な礼拝です。万難を排してこの礼拝を守り、聖餐にあずかることができるように努力する必要があります。それによってわたしたちは、主との契約関係を維持していく者となるからです。わたしたちは何にもまして、聖餐にあずかることができることを第一にしていく必要があります。なぜならそれが、神との契約を更新し続けていく場だからです。求道中の方々には、洗礼を受けることが求められています。どうか、これからは主と共に生きていくという決心をし、主との契約関係に入るために洗礼を受け、あるいは信仰告白をしていただきたいと思います。そして命のパンと杯にあずかることで、永遠の命への道を歩み始めていっていただきたいと思います。ペトロは呼びかけました。「悔い改めなさい。めいめい、イエス・キリストの名によって洗礼を受け、罪を赦していただきなさい」と(使徒2章38節)。同じ呼びかけが、皆さんにも為されているのではないでしょうか。