第18課 補論「信条の基となったケリュグマ(宣教定式)」

ただ一つの慰めに生きる-『ハイデルベルク教理問答』によるキリスト教信仰の学び


第18課:補論「信条の基となったケリュグマ(宣教定式)」


1.主イエスについての最古のケリュグマ

 16課では、使徒信条の原型がローマ教会で使用された洗礼信条であり、それは各地の教会にも同じように成立していったものであることを見ました。その最初は、主イエスに対するごく簡単な信仰の告白(「イエスは主・キリスト・神の子」)でしたが、それが「キリスト論的な信仰宣言(いわゆるケリュグマ)を内容とする定式」へと発展していきました。そしてそこでは、こうした宣教の言葉(ケリュグマ)が信条の基となっていきました。ここでは、そのケリュグマがどのようなものであったかを考えていきましょう。主イエスについて伝えられる様々なケリュグマの中で、最も古いものの一つと考えられているのが、パウロがコリントの手紙の中で伝えるものです1。「最も大切なこととしてわたしがあなたがたに伝えたのは、わたしも受けたものです。すなわち、キリストが、聖書に書いてあるとおりわたしたちの罪のために死んだこと、葬られたこと、また、聖書に書いてあるとおり三日目に復活したこと、ケファに現れ、その後十二人に現れたことです」(1コリント15章3~5節)。次いで、五百人以上もの兄弟たち、ヤコブ、他の使徒、パウロにも現れたと続きます。ここでパウロは、これは「わたしも受けたもの」だと証言し、パウロ以前にすでにまとめられたケリュグマであったことが明らかにされます。


 「『受けた(パレラボン)』というギリシャ語は、ヘブル語のキッベールに相当し、『伝えた』というギリシャ語は、ヘブル語のマーサルに相当し、ユダヤ教において伝承を受けて伝えることを意味する述語である。このケーリュグマはパウロの創作ではなく、彼自身受けたもので、彼が紀元50年ごろコリントで伝道した時伝えたものである」2 。パウロはこれを、いつ、どこで、誰から伝えられたかは定かではありませんが、パウロがダマスコ途上で復活の主と出会って回心するのは、32~33年ごろと考えられます。そのダマスコの教会で、伝えられた主イエスについての伝承が、これではないかと考えることができます。そしてパウロは、この伝承を基に、ダマスコ、そしてアラビアで宣教を始めていったのであり、これがパウロのケリュグマでもありました。そうしますと、主イエスが十字架で刑死されたのは30年の過越の時と考えられ、その後に主は復活し昇天していかれますから、それからわずか2~3年のうちには、こうしたケリュグマがすでにまとめられていたと考えることができます。そこで伝えられたことは2点で、どちらも「聖書に書いてあるとおり」で導入され、ほぼ同じ長さの文章が対比される構造(キアスム構造)となっています。


「キリストが、聖書に書いてあるとおりわたしたちの罪のために死んだこと、葬られたこと、聖書に書いてあるとおり三日目に復活したこと、ケファに現れ、十二人に現れたこと」。

 

 すなわち「十字架の死と復活」です。しかもそれは、旧約聖書において預言されていたことであること、またそれは「わたしたちの罪のため」、つまり贖罪のためであることが語られます。そしてこれが、パウロがコリントの人々に「告げ知らせた福音」であり、彼らが「受け入れ、生活のよりどころとしている福音」にほかならず、これによって「救われ」る福音だと語ります(同1~2節)。専門家によれば、この伝承はセム語的特徴が見られ、おそらく主イエスや弟子たちが用いていたアラム語に由来するものではないかとも考えられ、最も古い伝承と見なすことができると言われます。「このケーリュグマには、セム語(ヘブル語、アラム語など)の特徴を保有し、アラム語で形成されたと考えられる。少なくとも、このケーリュグマの背後にある最古の伝承形態はアラム語にさかのぼるということができる。・・・パウロはこの定式をおそらくダマスコで受け、回心後間もなく行ったダマスコとアラビアにおける伝道に用いたであろう」3。これをエルサレム原始教会も宣教し、その宣教がダマスコやアンティオキアなどにも伝えられて、主イエスの福音が広げられていったのでした。そしてパウロも、これを主イエスの福音として宣べ伝えていきましたが、そのケリュグマの中心は「十字架の死と復活」で、「イエスの死と復活が、信仰告白の基本的なことであったことをこの文章は示している」のです4。このように「イエス・キリストの死と復活が最初のキリスト者たちの信仰告白の中心をなしていた」5 のであり、これを基本形として、エルサレムでも、パレスティナの各地でも、ケリュグマが宣べ伝えられていったのでした。


2.エルサレム原始教会のケリュグマ

 このようにケリュグマの中心点は同じですが、それがペトロであれ、パウロであれ、それぞれのヴァリエーションで展開されながら、福音宣教が為されていったことが、使徒言行録のペトロやパウロの説教から伺い知ることができます。ペトロによって語られたエルサレム原始教会のケリュグマは、聖霊降臨後に為された使徒言行録2章22~36節の説教、足の不自由な男を癒した出来事の際に語られた3章12~26節の説教、最高法院で語られた4章8~12節の弁明や24~30節の祈り、5章29~32節の弁明などに見ることができます。これらは「初期におけるエルサレムのケリュグマを代表するもの」であり、「初期ケリュグマの内容の全貌を伝えている」と考えられます。それをドットは次のように総括します。「第一、『成就』の時代の曙光がきざしたこと」。「第二、このことはイエスの伝道、死、および復活によって生じたのである。(a)彼がダビデの子孫であること。(b)彼の生涯。(c)彼の死。(d)彼の復活」。「第三、復活によりイエスは高く引き上げられ、新しいイスラエルのメシア的支配者として神の右に座していること」。「第四、教会における聖霊はキリストの現在の力と栄光のしるしである」。「第五、メシア時代はキリストの再臨により、間もなくその完成に達するであろう」。「最後にケリュグマはいつも、悔改めの奨め、罪の赦しと聖霊のたまもの、そして選民の集団にはいる人に対する『救い』の約束、すなわち、『来たるべき世の生命』への約束をもって結んでいる」6。しかしいずれもその中心において、主イエスの苦難と十字架の死、そして復活が語られていきます。


 ここではローマの百人隊長コルネリウスの家で為された説教を見ていきましょう。ここでペトロは、こう語りました。「神がイエス・キリストによって-この方こそ、すべての人の主です-平和を告げ知らせて、イスラエルの子らに送ってくださった御言葉を、あなたがたはご存じでしょう。ヨハネが洗礼を宣べ伝えた後に、ガリラヤから始まってユダヤ全土に起きた出来事です。つまり、ナザレのイエスのことです。神は、聖霊と力によってこの方を油注がれた者となさいました。イエスは、方々を巡り歩いて人々を助け、悪魔に苦しめられている人たちをすべていやされたのですが、それは、神が御一緒だったからです。わたしたちは、イエスがユダヤ人の住む地方、特にエルサレムでなさったことすべての証人です。人々はイエスを木にかけて殺してしまいましたが、神はこのイエスを三日目に復活させ、人々の前に現してくださいました。しかし、それは民全体に対してではなく、前もって神に選ばれた証人、つまり、イエスが死者の中から復活した後、御一緒に食事をしたわたしたちに対してです。そしてイエスは、御自分が生きている者と死んだ者との審判者として神から定められた者であることを、民に宣べ伝え、力強く証しするようにと、わたしたちにお命じになりました。また預言者も皆、イエスについて、この方を信じる者はだれでもその名によって罪の赦しが受けられる、と証ししています」(使徒言行録10章36~43節)。ここでペトロは、主イエスの地上の生涯と十字架による死、そして復活だけではなくて、それに基づく「罪の赦し」も語ります。その点はパウロも同じで、ピシディアのアンティオキアで語った説教で、主イエスが十字架にかけられたことと復活されたことを語った後(13章26節以下)、「だから、兄弟たち、知っていただきたい。この方による罪の赦しが告げ知らされ、また、あなたがたがモーセの律法では義とされえなかったのに、信じる者は皆、この方によって義とされるのです」と語り継ぎます(13章38、39節)。そこでパウロは、「罪の赦し」と「信仰による義」を語りますが、その根拠は、やはり主イエスの「十字架の死と復活」でした。


3.主イエスの「御業」から「人格」への告白

 こうした主イエスについてのケリュグマは、基本的内容は一致しますが、言葉や文章として定式化されたもの、つまりまだ固定化されたものでありませんでしたから、表現にも強調点にも微妙な違いがありました。それはペトロとパウロを比較しても、またペトロ自身を比較しても明らかです。こうしたケリュグマによって、主イエスに対する信仰を抱き、それを告白し、主イエスによる洗礼を受けて、主イエスへの礼拝を捧げるようになる中で、次第にこうした主イエスに対する言葉が定式化、固定化されていくようになります。それは礼拝の説教や祈り、洗礼式や聖餐式、さらには悪魔祓いといった教会の実践において使用されるためだけではなく、すでに新約聖書の時代から現れていた異端との戦いや、異教、哲学との論争という現実においても、必要とされるようになっていきます。こうした教会実践、とりわけ礼拝の中で、主イエスについての宣教の言葉(ケリュグマ)は信仰告白(ホモロギア)となり、やがて信条(クレドー)として集成されていくようになります。その核となる最も古く、短く、中心的な信仰告白とは、「イエスは主である」「イエスはキリスト(メシア)である」「イエスは神の子である」というものでした。ここで注意していただきたいのは、もちろん主イエスに対して最初から、「イエスは主である」「イエスはキリスト(メシア)である」「イエスは神の子である」と信じられ、告白されていたわけですが7 、ケリュグマつまり主イエスの福音として宣べ伝えられた言葉は、そうした主イエスが誰であるかという告白である前に、主イエスは何をされたかという告白であったということです。つまり主イエスの「人格」についての告白の前に、主イエスの「御業」についての告白が為され、それに基づいて、主イエスの人格に対する信仰告白が整えられていったということです。


 「新約聖書の根本的な信仰は、旧約聖書に預言されてきた神の終末的な救いのわざが、イエス・キリストにおいて決定的に起こったということである。イエス・キリストの十字架と復活において、神が決定的に行為されたということである。神がイエス・キリストにおいて、人間の世界に下ってこられ、人間の罪を完全に贖い、救いのわざを成就して下さったということである。従って、新約聖書の信仰は、イエス・キリストにおける神の救いのわざを告白するということにならざるをえないのである。それゆえ、イエス・キリストの本性に対するものではなく、働きに対するものである」8ということができます。その由来は次のように考えることができます。「最初のキリスト者たちは、まずイエスの死と復活について『信仰告白』を形成した。その意義について様々の『信仰告白』を形成していった。それからイエスの人格に対する『信仰告白』を形成していったのである。それは、イエスの本性に対する思索から生まれてきたのではなく、イエスの救いのみ業を経験したところから生まれてきたものである」9。それは彼らの豊かな礼拝経験に根拠づけられたものでした。「初代のキリスト者たちは、使徒たちの証しを受け入れただけでなく、復活の主が礼拝において自分たちと共におられることを経験していたことがその信仰をたしかなものにした」ということができます10。


 そしてそこには「イエスの名」、つまりそこに臨在される主イエスの生きた働きに対する生き生きとした信仰、リアリティーに溢れた信仰がありました。ペトロとヨハネが、神殿の門の傍らに座っていた、生まれつき足の不自由な男に言った言葉は、「ナザレの人イエス・キリストの名によって立ち上がり、歩きなさい」でした(使徒3章6節)。するとその男は直ちに癒されて、躍り上がって立ったばかりか、歩き出し、「歩き回ったり躍ったりして神を賛美し」ました(同8節)。そしてそのことに驚く人々に、「イスラエルの人たち、なぜこのことに驚くのですか。また、わたしたちがまるで自分の力や信心によって、この人を歩かせたかのように、なぜ、わたしたちを見つめるのですか。アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神、わたしたちの先祖の神は、その僕イエスに栄光をお与えになりました。・・・あなたがたの見て知っているこの人を、イエスの名が強くしました。それは、その名を信じる信仰によるものです。イエスによる信仰が、あなたがた一同の前でこの人を完全にいやしたのです」と語りました(同12~16節)。そして議会での取り調べにおいても、はっきりと宣言します。「この人が良くなって、皆さんの前に立っているのは、あなたがたが十字架につけて殺し、神が死者の中から復活させられたあのナザレの人、イエス・キリストの名によるものです」と(4章10節)。そこには「イエスの名」、すなわちそこに臨在して生きて働いてくださる主に対する、リアリティーに溢れた生きた信仰がありました。そうした生きた信仰が、このような主イエスに対する信仰の告白として結実されているのです。こうして「新約聖書における信仰告白は、イエス・キリストの救いのみわざを告白することに始まり、イエス・キリストの人格に対する告白に至っている。そして、イエス・キリストをお遣わしになり、救いのわざをなしたまいし父なる神の恵みを讃美し、栄光を父なる神に帰しているのである。このように信仰告白は神の大いなる恵みのわざをたたえることを中心とするのである11」。こうした信仰告白、即ち信条とは、それによって主イエスに対する自分の信仰を言い表し、表明するだけではなく、自分を愛し、自分のために御自身の命さえ惜しむことなく与えてくださった救いの主に対する、心からの感謝と賛美であり、つまり頌栄です。「信条あるいは信仰告白とは、このような讃美の言葉です。・・・信仰者の口からあふれでる喜びと感謝、そして讃美の言葉なのです」12。


4.テサロニケにおける宣教の言葉

 使徒パウロは、エルサレム原始教会のケリュグマを受けると共に(1コリント15章3節以下)、それを「わたしの福音」として自家薬籠中のものとしながら福音宣教していきました。ですからそのケリュグマは、基本的にエルサレム原始教会のものと同じものでした。そこに示された「新約聖書の信仰の基本は、神が御子を遣わされて、決定的な、終末的な救いを成就してくださったということ」でした。それは「御子の十字架と復活がその中心をなしている」もので、「御子のわざは贖罪であるゆえ、御子の血について語り、その贖罪の働きを種々の表現をもって告白して」いくものでした13。しかしパウロは、復活のキリストからの直接の啓示を受けてもいたため(ガラテヤ1章1、11、12節、1コリント11章23節)、パウロならではの新しい面もあります。そうしたパウロのケリュグマにおいて、最古と言えるのが、パウロ最初の手紙である1テサロニケに記されています。それはテサロニケ宣教において語られたケリュグマだったので、それをテサロニケの人々に想起させるようにして語られていきます。「あなたがたがどのように偶像から離れて神に立ち帰り、生けるまことの神に仕えるようになったか、更にまた、どのように御子が天から来られるのを待ち望むようになったかを。この御子こそ、神が死者の中から復活させた方で、来たるべき怒りからわたしたちを救ってくださるイエスです」と(1章9、10節)。


 ここを私訳すると「〔というのは、わたしたちについて彼ら自身が伝えているからです。〕すなわち、わたしたちがどのようにあなたがたの所に到達したか、そして生きている真実の神に仕えるために、また天からの神の御子を待ち望むために、あなたがたがどのように偶像から神へと立ち帰ったか、ということについてです。それは、神が死者からよみがえらせた方で、やがて来る怒りからわたしたちを救い出してくださるイエスです」となります。この9節後半から10節は、当時のヘレニズム教会が異邦人に向けて宣べ伝えていったケリュグマと考えられていて、同じものが使徒14章15~17節、17章23~31節、ヘブライ6章1~2節にも見られます。その第一は「偶像から神へと立ち帰った」ということです。そして第二は「生きている真実の神に仕える」ようになったということでした。ここで「仕える」という言葉は、奴隷という言葉に由来し、奴隷として仕えることを意味します。つまり「人間がその全生活をもって神に従属し、体をささげて神に仕える」ということです。しかしそれは神に屈従し隷属するということではなくて、むしろこれまでは異教の神々の奴隷、虚しい偶像の隷属状態となっていたところから解放されて、「生きている真実の神」に自由に仕える者とされたということでした。そして第三は「天からの神の御子を待ち望む」、つまり「御子の再臨を待ち望むようになった」(新共同訳)ということです。このように、まことの神に「立ち帰った」のは、その神に「仕える」ためであり、主イエスの再臨を「待望する」ためでした。そしてこの「生けるまことの神に仕える」ことの具体化こそが、「信仰によって働き、愛のために労苦し、主イエス・キリストに対する、希望をもって忍耐している」ということでした(3節)。そこには絶えざる「愛の労苦」があります。しかしそれを支えるのが主イエスに対する「希望の忍耐」です。10節の「待ち望む」という言葉は、「期待して待つ」ということであり、また「忍耐と確信をもって前方を見つめること」でもあります。そしてそれらを支えていくのが「信仰の働き」です。


 わたしたちの前方には何があるでしょうか。「やがて来る怒り」ではなく、そこから「わたしたちを救い出してくださるイエス」です。だから「信仰の創始者また完成者であるイエスを見つめ」るように勧められます(ヘブライ12章2節)。また「上にあるものを求めなさい」とも呼びかけられます。なぜなら、「そこでは、キリストが神の右の座に着いておられ」るからです(コロサイ3章1節)。わたしたちの「救い」は、ただこの主イエスの許にあります。そしてその「救い」とは、世の終りにおける究極的な「救い」であり、わたしたちの「救いの完成」のことです。そしてまさにそれがあるからこそ、日々の困難の中での救い、つまり助けと支え、励ましと導き、問題の解決と癒しも与えられるということでもあります。わたしたちは日々に困難と問題に直面しますが、そのただ中にあっても、わたしたちは「天からの神の御子を待ち望む」(新共同訳「御子が天から来られるのを待ち望む」)者でありたいと思います。そこにこそ最終的な解決があるからです。しかしまた同時に、その途上の道にあって待ち望む、つまり「期待して待つ」者であり、さらには「忍耐と確信をもって前方を見つめる」者でありたいと思います。これがパウロがテサロニケの人々に、そしてまたヘレニズム世界に住む異邦人に語り伝えたケリュグマなのでした。


5.パウロのケリュグマの特徴

 エルサレム原始教会のケリュグマを要約すると14、

①『成就』の時代の曙光がきざした。

②このことはイエスの伝道、死、および復活によって生じた。

(a)彼はダビデの子孫、(b)彼の生涯、(c)彼の死、(d)彼の復活、

③復活によりイエスは高く引き上げられ、新しいイスラエルのメシア的支配者として神の右に座している。

④教会における聖霊はキリストの現在の力と栄光のしるしである。

⑤メシア時代はキリストの再臨により、間もなくその完成に達する。

⑥ケリュグマはいつも、悔改めの奨め、罪の赦しと聖霊のたまもの、そして選民の集団にはいる人に対する『救い』の約束、すなわち、『来たるべき世の生命』への約束をもって結ばれる。


 これに対して、パウロのケリュグマをその書簡から要約すると次のようになります15。

①預言は成就された。そして新しい時代がキリストの来臨とともに始まった。

②彼はダビデの子孫より生まれた。

③彼は聖書に書いてあるとおり、この悪の世からわたしたちを救い出さんために死んだ。

④彼は葬られた。

⑤彼は聖書に書いてあるとおり三日目によみがえった。

⑥彼は高きに挙げられて、神の子また、生けるものと死にたるものの主として、神の右に座している。

⑦彼は人類の審判者、また救い主として再び来るであろう。


 両者を比べると、基本的な項目においては一致することが分かりますが、その中でもさらにパウロならではの使信を見ることができます。それは「終末論的」であるということです。パウロが、キリストは「この悪の世からわたしたちを救い出そうとして、ご自身をわたしたちの罪のために献げてくださった」と語るとき(ガラテヤ1章4節)、そこには「ユダヤ教の二つの時代、すなわち、『この世』と『来たるべき世』の二つの時代の教理」が含まれていました。そこでの「パウロの意味は、キリストの死と復活とによって、二つの時代の境界線が除かれて、信仰あるものはもはや、今の悪の世に属することなく、来たらんとする光輝ある世に属するということ」でした16。さらに、ローマ10章8、9節によれば、パウロが「宣べ伝えている信仰の言葉とは」、「イエスは主である」ということと、「神がイエスを死者の中から復活させられた」ということでした。このように復活こそは、主イエスが主であることの確証であり、それをパウロは「キリストの栄光に関する福音」(2コリント4章4節)として宣べ伝えていったのでした。だからパウロは「死んだ人にも生きている人にも主となられる」ために、「キリストが死に、そして生きた(死んで生き返られた17)」と語ります(ローマ14章9節)。そしてそこで「わたしたちは皆、神の裁きの座の前に立つ」ことを明らかにします。そこで「わたしたちは一人一人、自分のことについて神に申し述べることになる」と(同10、12節)。また「わたしたちは皆、キリストの裁きの座の前に立ち、善であれ悪であれ、めいめい体を住みかとしていたときに行ったことに応じて、報いを受けねばならない」とも語ります(2コリント5章10節)。


 このように「パウロにとって、さばきはキリストの普遍的主権の職務であって、キリストはこれを死と復活によって獲得されたのであり、審判者としての彼の再臨はケリュグマの一部」なのでした18 。だからテサロニケにおける宣教の言葉も、「御子こそ、神が死者の中から復活させた方で、来たるべき怒りからわたしたちを救ってくださるイエスです」というものなのでした(1テサロニケ1章10節)。したがって「パウロのケリュグマは、終末論的背景におけるキリストの死と復活の事実の宣布」であり、「これらの事実は、『今の悪の世』から『来たるべき世』への推移を示すもの」でした19。旧約の「預言の成就は主の日の来臨、すなわち、来たるべき世の始まったことを意味する」のであり、「キリストの死と復活とは、預言の決定的な成就」でした。そしてこの主イエスの「死と復活により、信者は現在のこの悪の世からすでに救い出されて」おり、「今や新しい時代が来て」いて、「キリストはその死と復活とによって、この時代の主」であり、「この世の完成にあたって、彼は審判者として、救い主として、その主権を行使するために来られる」のです20。


6.宣教の言葉(ケリュグマ)から信仰の告白(ホモロギア)へ

 こうした宣教の言葉(ケリュグマ)から信仰の告白(ホモロギア)が生み出されていきます。十字架で処刑されたナザレのイエスが復活したという信仰によって、「イエスは主である」という信仰告白と(使徒2章36節、10章36節)、「イエスはキリスト(メシア)である」という信仰告白が成立します(使徒2章36節、3章20節、5章42節、9章22節、17章3節、18章5、28節)。パウロが宣べ伝えた信仰の言葉は、「イエスは主である」ことと、「神がイエスを死者の中から復活させられた」ということでした(ローマ10章9節)。そして十字架の死に至るまで従順だったキリストを神が高く上げ、すべての名にまさる方としてくださったことで、すべての舌が「イエス・キリストは主である」と告白するようになると述べられていきます(フィリピ2章6~11節)。また主イエスが神を「アッバ、父」と呼んでおられたことから(マルコ14章36節)、「イエスは神の子である」という信仰告白も成立していきます(使徒9章20節、13章33節)。ダマスコで「この人こそ神の子である」と宣教したパウロは(使徒9章20節)、「肉によればダビデの子孫から生まれ、聖なる霊によれば、死者の中からの復活によって力ある神の子と定められた」方こそ、わたしたちの主イエス・キリストだと告白しました(ローマ1章3、4節)。コリントで宣べ伝えたのは、「神の子イエス・キリスト」でした(2コリント1章19節)。こうして宣教の言葉(ケリュグマ)に応答して主イエスを信じる人々が起こされ、主イエスに対する礼拝が為されていきましたが、そこでの礼拝の言葉(説教や祈りや賛美歌)や、教会の実践の言葉(洗礼、聖餐、悪霊追放など)の中で、次第に主イエスに対する信仰の告白(ホモロギア)がまとめられ、定式化されていきますが、それは最初は、「イエスは主・イエスはキリスト(メシア)・イエスは神の子」といった、とても短いものなのでした21。




1 平野、前掲書、17~21頁参照

2 同上、17~18頁

3 同上、20頁

4 同上、12頁

5 同上、16頁

6 ドット、前掲書、24~28頁

7 山田、前掲書、69~72頁参照

8 平野、前掲書、7~8頁

9 同上、33頁

10 同上、17頁

11 同上、51頁

12 関川泰寛、『ニカイア信条講解 キリスト教の精髄』、1995年、教文館、23頁

13 平野保、『新約聖書における信仰告白』、東神大パンフレット25号、1986年、東京神学大学出版委員会、48頁

14 C.H.ドット、『使徒的宣教とその展開』、1984年、新教出版社、24~28頁

15 ここでの記述は、同上、19頁参照

16 同上、11頁

17 同上、12頁

18 同上、13頁

19 同上

20 同上、14頁

21 平野保、『新約聖書における信仰告白』、東神大パンフレット25号、1986年、東京神学大学出版委員会、33~48頁参照