· 

第22課 主を頼みとした勇敢な信仰

キリストのすばらしさに捕らえられてー使徒パウロの生涯


第22課:主を頼みとした勇敢な信仰(使徒言行録14章1~7節、2011年7月31日)


《今週のメッセージ:主を頼みとして信頼していく(使徒言行録14章3節)》

 イコニオンでもユダヤ人からの激しい反対に出会ったパウロでしたが、そこで彼は「主を頼みとして」勇敢に語り続けました。そこでパウロが踏みとどまることができたのは、彼が特別に勇敢な人だったからではなく、また特別に信仰深い人だったからでもありません。「主を頼みとして」いたからでした。彼自身の強さが、困難の中でも勇敢に語らせていったというのではなくて、「主を頼み」としたから、堅くまた強く立つことができたと語られるのです。わたしたちも、結局、誰をまた何を頼りとしているかが問われるのではないでしょうか。そこで彼は、「しるしと不思議な業を行い、その恵みの言葉を証し」していくことができました。そこでの「主語」に注意してください。それはパウロではなくて「主」なのです!「主は彼らの手を通して」とあります。パウロがそれらを行ったというのではなくて、パウロを通して、またパウロを用いて、しかしパウロではなく「主」がそうされたというのです。パウロが信仰の迫害にも耐えうる強靭な人だったからというのではなく、主ご自身がパウロによって働かれたからなのでした。ここに、家庭や社会の中でただ一人のキリスト者として生きるわたしたちの生きていく秘訣があるのではないでしょうか。


1.「主を頼みとして勇敢に」

 ピシディアのアンティオキアでユダヤ人からの激しい反対にあったパウロとバルナバは、イコニオンにたどり着き、そこでも福音を語ります。そして「その結果、大勢のユダヤ人やギリシャ人が信仰に入った」のでした(使徒14章1節)。ところがそれがユダヤ人の妬みと憎しみを買い、街の人々を巻き込んでの反対運動に発展していきます。このことは、イエス・キリストの福音が、必ずしも平和裏に受け入れられるわけではないことを、明らかにします。「町の人々は分裂し、ある者はユダヤ人の側に、ある者は使徒の側についた」のでした(4節)。しかしその激しい反対運動と人々の悪意、そして暴力を伴った迫害のさなか、「それでも、二人はそこに長くとどまり、主を頼みとして勇敢に語った」のでした(3節)。ここでパウロたちが受けた迫害と困難がどれほどのものであったかは、パウロ自身がずっと後になっても覚えているほどのものでした。2テモテ3章11節ではこう述べます。「しかしあなたは、わたしの教え、行動、意図、信仰、寛容、愛、忍耐に倣い、アンティオキア、イコニオン、リストラでわたしにふりかかったような迫害と苦難をもいといませんでした。そのような迫害にわたしは耐えました」。これはパウロの晩年のものですが、この言葉の背後に何十年という時を経ても拭うことができないほどの苦難の記憶というものが横たわっていることを覚えることができます。しかしパウロはさらに、こう続けました。「そして、主がそのすべてからわたしを救い出してくださったのです」と。迫害と苦難という苦い思い出ばかりではなく、それは同時に主が自分を救い出し、守りぬいてくださった主への感謝の思い出でもあります。使徒14章では、イコニオンにおいては石を投げられそうになったことが記されます(5節)。これはいきり立って暴徒と化した群集が、パウロに石を投げつけようとしたということではありません。ユダヤ教の会堂では、罪を犯した者に対する罰則というものが定められていて、通常は鞭打ちでした。例の「40に一つ足りない鞭」というも

のです。しかしここではもっと重い判決が下ったことが記されます。つまり神を冒涜した者に下される石打ちの刑です。ここでパウロたちは、怒り狂った群集によるリンチに遭いそうになったというのではなくて、会堂の正式の裁判手続きに基づく死刑判決を受けたことが明らかにされているのです。しかしこのような大変な死の危険からパウロたちは逃れることができたというのが、この箇所の内容でした。


 イコニオンの前のピシディアのアンティオキアでも、ユダヤ人の激しい反対を前にしながら、「パウロとバルナバは勇敢に語った」とあります(13章46節)。そしてここでもユダヤ人からの激しい反対に出会いながら、そこで彼が「主を頼みとして勇敢に語った」とあることが印象的です。しかしそこでパウロとバルナバが踏みとどまることができたのは、彼らが特別に勇敢で、勇気を抱いた人だったからとか、信念厚く、信仰深い人だったからと聖書は書きません。二人が特別だったからではなく、むしろ「主を頼みとして」いたからだと記すのです。福音が語られるとき、それは時として激しい憎しみや反対に直面します。キリストの証しを立てようとするとき、それは厳しい批判と迫害を招くこともあります。家族や会社、地域社会の中で、ただ一人のキリスト者であるわたしたちは、そこでの厳しさを身に染みて覚えます。毎週の礼拝や集会だって、家族に気兼ねしながら、できる限りの配慮をして出てきます。それにもかかわらず、皮肉の一言を浴びせられることもあります。そのような中でわたしたちも、主イエスの証しを立てながら生きている時、ここで堅く立つことができた二人の姿は、わたしたちの励ましとなります。彼らは、自身が特別に強い器であり、激しい迫害にも耐えうる強靭な精神と信仰を持っていたから、この迫害に耐えることができたわけではありません。彼ら自身の強さが、この困難の中でも勇敢に語らせていったとは書いていないのです。そうではなくて、彼らは「主を頼み」としたから、堅く、また強く立つことができたというのです。わたしたちも、結局、誰をまた何を頼りとしているかが問われるのです。


2.「しるしと不思議な業」

 こうして「主を頼み」とした彼らは、「しるしと不思議な業を行い、その恵みの言葉を証し」していくことができました(3節)。このイコニオン伝道よりさらに先、第二回伝道旅行の際、パウロはテサロニケでも福音宣教をします。そしてそのときの様子が、その教会に宛てられた手紙に記されます。そこでも「ただ言葉だけによってではなくて、力と聖なる霊と強い確信によって」福音宣教がなされたことが明らかにされます(1章5節)。この手紙を書いたのは、コリントにおいてですが、そのコリントの前、テサロニケの後に行ったのがアテネでした。しかしそのアテネでは、パウロはこの世の知恵を尽くした言葉によって福音を語り、失敗してしまいます。そこで深く傷つき、失望落胆のうちにたどり着いたのがコリントでした。そこでパウロは「わたしの言葉も宣教も、知恵にあふれた言葉によらず、霊と力の証明による」ことを決心します(1コリント2章4節)。まさにそのコリントでこの手紙を書きながら、パウロは福音が人間の知恵によらず、愚かと見える「十字架の言葉」であることを深く理解します。それは、人間の業や熱心に基づくものではなく、聖霊の御業にほかなりません。テサロニケの人々も「ひどい苦しみの中」にいましたが、そこで「聖霊による喜びをもって御言葉を受け入れ」ました(6節)。そしてそのことこそ、苦難に耐えていく秘訣でした。ここでパウロは、「わたしたちの福音があなたがたに伝えられたのは、ただ言葉だけによらず、力と、聖霊と、強い確信によった」と語ります。「力」とは福音そのものが持つ力であり、それは「神の力」です(ローマ1章16節、1コリント2章4、5節)。「確信」という言葉には「充満、豊富」という意味もあり、「力と聖霊とに満たされた全き確信」と訳すこともできます。つまりこの「確信」は、聖霊の働きによってもたらされるものであり、神の働きなのです。ですから、わたしたちを苦難の中で忍耐を持って耐えさせていくのは、自分自身の力や努力に基づくことではなく、聖霊の働きだということができます。そしてそれは、「聖霊による喜びをもって御言葉を受け入れ」ることによるのです。「聖霊による喜び」は直訳すると「聖霊の喜び」です。つまりわたしたちの喜びの源も聖霊であり、それは聖霊の働きによるということです。その喜びは聖霊ご自身が持っておられる喜びであり、その聖霊の喜びがわたしたちに与えられるのです。聖霊ご自身の喜びが、わたしたちにもたらされていく、そういう喜びです。そしてこの聖霊のゆえに、わたしたちは苦難の中にあっても喜ぶことができるのです。「キリスト者の喜びは苦難という文脈において経験されるのであって、信者は苦難を担うことができ、苦難に圧倒されないのである」(松永『テサロニケ人への手紙』、3章7節、2コリント8章2節、フィリピ2章17節、コ

ロサイ1章24節、1ペトロ1章6節、4章13節)。この「喜び」こそ、苦難の中でそれを耐えさせていく力となるのです。そしてそれを得る秘訣は、「御言葉を受け入れ」るということではないでしょうか。


 さて、ここでこの「しるしと不思議な業を行い、その恵みの言葉を証し」したものの、「主語」に注意してください。それはパウロとバルナバの二人ではなくて、「主」なのです!「主は彼らの手を通して」とあります。二人がそれらを行ったというのではなくて、二人を通して、また二人を用いて、しかしその二人ではない、「主」がそうされたというのです。彼らが特別に信仰の迫害にも耐えうる強靭な人々だったからというのではなく、主ご自身が彼らによって働かれたからなのでした。ここに、家庭や社会の中でただ一人のキリスト者として生きるわたしたちの、生きていく秘訣があるのではないでしょうか。それは、自分自身にではなくて、「主を頼み」とするということです。使徒言行録に登場する人物は、ペトロやパウロといった人間です。しかしそこでの本当の主人公は、彼らを通して生きて働いておかれる主イエスです。使徒言行録は、主イエスの働きを使徒たちが代わりとなって継続したということではなくて、むしろその延長で、復活し、今も生きておられる主イエスご自身が、使徒を通して働いておられることを証しします。ここで使徒たちは、天におられるキリストの地上における手足に他なりません。だからわたしたちは、「キリストのからだ(肢体)」と言われるのです。わたしたちも、生きて働いておられる復活の主の「手足」に他ならないからです。だからわたしたちは、たとえ家庭や社会のただ中で、ただ一人のキリスト者であったとしても、ひとりぼっちではないのです。主の手足として、かしらなるキリストにしっかりと結び合わされて、主と共に生き、証しし、働いているからです。このことを何よりも深く理解したのは、かつての教会の迫害者パウロ自身でした。彼は各地のキリスト者を迫害してきた時に、復活の主から「なぜ、わたしを迫害するのか」(9章4節)と問われました。キリストのゆえにキリスト者たちが苦しむ時、そこではキリストの僕たちだけが苦しんでいるのではなくて、キリストご自身が彼らと共に苦しんでおられるのです。わたしたちが家族や社会の中で、無理解や非難にさらされながら苦しむ時、そこでわたしたちの主イエス・キリストご自身が共に苦しんでくださり、そこからわたしたちを助けてくださるのです。そこで大切なことは、わたしたちが自分自身をではなくて、「主を頼み」としていくということなのです。イコニオンでの激しい迫害の中で、パウロとバルナバが福音に堅く立って勇敢に語り、大きな証しの業を行ないえたのは、「主を頼み」としていったからでした。


3.「わたしはあなたと共にいる」という約束

 わたしたちもパウロと同様、「主を頼みとして勇敢に」あることができたらと思います。そのためにわたしたちは何を頼りとしているか、主を拠り所としているかということを、問い直す必要があると思います。しかしわたしたちは、それができないときもあります。素直に「主を頼みとして」という気持ちにはなれずに、自分の殻に閉じこもってしまって、悶々と苦しみ悩むというときもあります。そこで次に、そもそもどうしてパウロは「主を頼みとして」いくことができたのかということについて考えていきたいと思います。そんなことは当たり前ではないかと皆さんは思われるかもしれません。確かにパウロは、まさにこの主を宣べ伝えていたわけですから、その方に依り頼まないはずはないと考えて当然でしょう。しかしパウロは、その方に依り頼んで伝道したにもかかわらず、そこではいつも困難に直面していったわけです。行く先々で伝道が大成功をおさめたというのなら分かります。しかしそうではなく、時には実りも少なく、いつも激しい敵意に直面していくばかりでした。そしてこうした厳しい反対の中で、パウロと言えども辛い思いをしたはずでした。彼自身が強靭な心を持っていたわけではないと思います。時には心が挫けそうになることもあり、また時には心が折れそうになることだってあったはずでした。それにもかかわらずそこでパウロがなお踏みとどまることができ、しっかりと立つことができたのは、彼がそこでなお「主を頼りとして」いくことができたからだと、パウロの力の秘密を明らかにします。しかしそこでパウロはどうして、これほどの困難と問題に直面しながら、つまりそこで助けてはくれないようにさえ見える主に、信頼を寄せることができたのはどうしてかということです。それは皆さんの問題でもあるのではないでしょうか。困難や問題に直面しながらも、そこでどうして、なお主に依り頼んでいき、主を信頼していくことができるのかということです。皆さんはどのようにお考えになるでしょうか。


 前回の学びで、会堂でのユダヤ人の激しい反対とそこで異邦人へと向かうというパウロの言葉を見ていきました。コリントでの出来事ですが、その続きにこのように記されていきます。18章9、10節「ある夜のこと、主は幻の中でパウロにこう言われた。『恐れるな、語り続けよ。黙っているな』」。そしてこう約束されました。「『わたしがあなたと共にいる。だから、あなたを襲って危害を加える者はない。この町には、わたしの民が大勢いるからだ』」と。「わたしがあなたと共にいる」。この約束こそが、どんな困難を前にしても、そこでなお主を頼りとして、それに立ち向かっていくことができた勇気の源でした。この約束が、どんな問題を前にしても、そこでパウロを奮い立たせていった、力の源なのでした。「わたしがあなたと共にいる」。それは、主が共にいるから問題には出遭わなくなるという約束ではありません。主が共にいるのだから、悲しいことや辛いことには出遭うこともなくなるというものでもありません。主が共にいても、問題にぶつかるのです。困難に直面するのです。悲しいことにも苦しいことにも出遭うのです。けれども主は、そこでわたしたちが心挫け、倒れ伏してしまうことがないように助け、守り、導いてくださるのです。主が共にいてくださったからといって、それでユダヤ人の反対がなくなったわけではありませんでした。むしろそれはますます激しくなり、このコリントでさえ、その後にあやうく暴力を振るわれそうにもなります。しかしその激しい敵意と憎悪のただ中で、パウロは不思議にも守られていきます。「『わたしがあなたと共にいる。だから、あなたを襲って危害を加える者はない。この町には、わたしの民が大勢いるからだ』」と約束された通りでした。主が共にいてくださるというのは、それによって問題や困難がなくなるということではなくて、むしろそうした問題や困難を前にして、それに向かい合っていこうとする勇気と、それに耐えていき、乗り越えていこうとする力を与えていくということなのです。なぜならまさにその困難のただ中、問題の渦中にあって、主が共にいてくださるからです。


4.苦しむわたしを背負い、わたしの苦しみを担ってくださる主

 そしてそれは主が傍らにあって、戦うわたしをサポートしてくださるということだけではないのです。そこで苦しみ、悩み、うろたえ、立ち往生し、どうにも立ち上がることができないほどに心萎えている、そういう自分の思いを、また弱さを受けとめて、それをご自分のものとしてくださっているということでもあります。苦しむわたしと共にいてくださる主は、そこでのわたしの苦しみをも共に負ってくださっているということです。悩み、怯え、立ちすくむわたしと共にいてくださる主は、そこでのわたしの悩み、恐れ、心配をも共におってくださる主であるということです。だからわたしたちは、問題を前にしても、恐れることなく立ち上がっていくことができるのです。それが、「主を頼りとして」いくということなのではないでしょうか。どうして問題にぶつかりながら、そこでなお主を頼りとしていき、主に信頼していくことができるのでしょうか。それは、まさしくそこで疑い、迷い、恨み、つぶやき、不平を鳴らす、そのようなわたしたちとも、主が共にいてくださり、そこでのつぶやきも、不満も、疑いも、迷いも、そっくりそのままご自分のものとして受けとめてくださり、そうして悩み苦しみ、それでもなお主に信頼しきれないでいる、そうしたわたし自身をもそのまま背負ってくださるからなのです。「わたしがあなたと共にいる」。それは、主が共にいることによって、わたしたちがもはや問題に出遭うことなく、苦しみに遭うこともないという約束ではありません。問題にも出遭い、苦しみにも出遭います。しかしまさにそのところで主が共にいてくださり、その問題に立ち向かっていく勇気と、苦しみを乗り越えていく力を与えてくださると共に、そこでなお立ち上がることができずにいるわたし自身の苦しみと悩みをと、共に背負ってくださる、いやそうして悩み抜いているわたしそのものを背負ってくださるということなのです。だからパウロは、「主を頼りとして」問題に立ち向かい、困難に当たっていくことができたのでした。それが「主を頼りとして勇敢に」ということの意味なのではないでしょうか。


 最後にこれまで何度もお見せしているグリューネヴァルトの絵をお見せしましょう。イーゼンハイム祭壇画と呼ばれるもので、ウンターリンデン美術館に掲げられているものです。ここで十字架にかけられている主イエスご自身の姿をよく見てください。これほど醜く描かれた磔刑図があるだろうかと思うくらい醜悪な姿です。手と足は極端なくらいに捻じ曲げられ、死を前にした悶絶した様子を伺い知ることができます。この絵は、元々は修道院の祭壇に掲げられていたものでした。その修道院は、病院のような働きをした修道院で、その時代ヨーロッパの半数以上が死んだというペスト患者を収容し、看護した修道院でした。そしてそこは今日でいうホスピス病棟のようなもので、この修道院に連れてこられたということは、もう自分は助からないということを覚悟しなければならない場所と理解されていました。そこで手厚い看護を受けます。しかしそれによって回復できると期待することはほとんどできない、最期の場所でした。そして事実、そこから回復して出ていくことができた患者はほとんどいませんでした。そうして自分の死というものを見つめざるをえないところで、死の恐怖に震えおののいている患者が、この修道院に連れてこられて最初に見るのが、この絵でした。患者は、まずこの絵の前に横たえられ、それからそれぞれの病室へと振り分けられて行ったのです。そして彼らは二度とそこから出ることはできませんでした。彼らはそこで死んだのです。けれども彼らの多くは、この絵を見ることで癒されたのでした。その癒しは、もはや病気の癒しではありませんでした。病気は癒されませんでした。しかし彼らの心は癒されて、平安の内に死に赴いていくことができたのでした。なぜならここで掲げられた十字架の主は、まさしくペスト患者だったからなのです。この絵を見たとき、彼らは理解しました。主が自分の病も苦しみも共に背負ってくださったということを。そして自分の罪も、これから迎える自分の死も、一緒に背負ってくださっているということを。だから彼らは死を前にして、平安にそれに赴いていくことができたのでした。なぜなら、その死においても主は共にいてくださり、死と病の苦しみを共に背負ってくださることを信じることができたからでした。ペスト患者として、まさに今死の断末魔の渦中にある主を見上げることで、彼らは癒されていったのでした。わたしたちも同じです。体の痛みが取り去られるわけではないかもしれません。深い悲しみが拭い取られるわけではないかもしれません。あいかわらず問題に直面し、困難に出遭うのかもしれませんし、それで悩まされ、苦しめられることに変わりはないかもしれません。しかしそこでなおわたしたちは立ち上がることができるのです。まさにそこに、主が共にいてくださるからです。共にいて一緒に戦ってくださるからです。一緒に立ち向かってくださるからです。そしてそこで倒れてしまいそうになる、わたし自身を受けとめて、わたしを立たせてくださるのです。そこで悩むわたしの悩み、そこで苦しむわたしの苦しみを、そっくりそのまま背負いつつ、悩み苦しむわたしと共にいてくださるのです。それが「わたしがあなたと共にいる」という約束なのではないでしょうか。