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第16課 災いを幸いに変えてくださる摂理の神

キリストのすばらしさに捕らえられてー使徒パウロの生涯


第16課:災いを幸いに変えてくださる摂理の神(使徒13 章13 節、2011 年6月5日)


《今週のメッセージ:災いをも幸いに変える摂理の神(創5 0 章2 0 節)》

 キプロスから対岸のペルゲに移ったところで、マルコは宣教団から離脱してしまいます。その理由は定かではありませんが、後にパウロとバルナバが対立し、別行動を取って別れていく原因となります。このように教会には様々な問題が生じるのであり、そこでわたしたちは苦しみます。争いや分裂といった悲しい事態にも直面しますし、自分たちが飲み込まれてしまいそうになるほどの大きな問題に出遭って、悩まされることもあります。しかもそれは、ときとして人間の弱さや罪が原因で引き起こされることもあります。しかしそこで忘れてはならないことは、そのような弱さに満ちたわたしたちそして教会を、神は導いてくださるということです。人間の罪や悪を許容されるのではなく、それを避けることが求められるわけですが、それでもなおそこで起きてしまう様々な問題や出来事について、神は恵みの御手を広げてくださり、その中にあってもわたしたちを導いてくださることで、災いを幸いに変え、問題を祝福へと変えていってくださるのです。わざとそのような困難へと導かれるわけではなく、原因はどこまでもわたしたちにあるわけですが、それでもそこで躓いてしまうことがないように、摂理の御手をもって導き続けてくださるのです。


1.福音こそが必要

 先週、東北中会諸教会の先生がたや長老たちが集められた協議会が開催されまして、それに出席してきました。中会開催が困難であるという実情を踏まえて、とにかく集まれる者たちだけでも集まって、それぞれの安否を確認し、被害状況を報告すると共に、今後のことについて話し合おうということで集められたものでした。その会議の前後色々な方々とお会いし、お話しして、交わりを深めることができましたし、色々なことを考えさせられながら帰ってきました。ある先生から伺ったことですが、「日本は強い国」というテレビコマーシャルが流れていますが、これは被災者にはきつすぎるということを聞きました。日本は強くなんかない、とても弱い。地震や津波にどうすることもできなかったし、今でもどうしようもない状況が続いているというのが、被災した方々の実感だというのです。膨大な瓦礫の山に囲まれて生活している彼らからすると、「立ち上がれ、日本」という言葉を聞いても、とても立ち上がれないというのが正直な気持ちだと聞き、なるほどなあと思わされました。大きな自然の脅威の前に、人間はまことに無力で弱いことを思い知らされたわけです。そのような中で、先生がたから口々に聞いた言葉は、「悔い改め」でした。自分たちはおごり高ぶっていた。本当の意味で神に寄り頼み、神に信頼して生きるということがなく、文明や人間の力に頼って生きていたに過ぎないことを思い知らされた。今回の出来事は、そうした人間の力など何ほどのものでもないということを痛感させられる出来事だったと。そうして神の前に引き出される思いで、悔い改めなければならないと感じているということでした。そしてそれはキリスト者たちばかりではなく、一般の方々の中にもそのように感じている方がおられるというのです。神に頼らず、自分の力を信じ、人間の力に寄り頼んで生きていた。しかしこのような事態に、そうしたものは何の力にもならず、当てにもならないことを思い知った、今そのことを問い直されているというのです。


 正直驚きました。わたしたちは被災した方々の今の生活上の困難というものばかりを報道で見聞きして、大変だと思うばかりでしたし、「心のケア」ということが口々に叫ばれて、心の痛みや傷の問題については大きく取り上げられますが、霊的な側面でどのような変化が起きているかということは何も知りません。しかし静かにではあっても、東北では「悔い改め」あるいは少なくともこれまでの生き方に対する問い直しということが起きているというのです。これまで当てにしてきたものはすべて役立たずだということを思い知って、本当に頼りになるものを求め始めている。そしてこのような事態の中で、本当に心の拠り所となるものを求め始めているというのです。避難所にいても、毎日おにぎりをもらうために並ぶだけで、他は何もない。家も仕事もなく、何もすることもない中で、あるのは先行きに対する漠然とした不安ばかりだとも伺いました。大切な家族も家も財産も仕事も、何もかも失い、これから先どのようにして生きていくのか、生活の目途が立たないだけではなく、生きていく目標も見出せなくなっている。しかもその避難所もどんどん閉鎖されていき、これからどこへ行ったら良いのか、どこで生活できるのか、何の保証も目途もない。そういう中で、ただ不安と心配ばかりが膨らんでいくということで、そこで何かによりすがりたい思いというものが漠然とある。しかし何にすがったらよいのか分からないという、今まさに心が飢え渇いている状況にあるというのです。そんな状況の中で、もちろん生活物資も必要だし、お金も必要だし、心のケアも必要ですが、今一番必要としているのは、福音なのだと語られていました。


2.困難な出来事から生み出された新しい動き

 仙台のある教会は震災後、求道者とその家族が5世帯ばかり集まってきて、一時的に避難所のようになって、一週間ほど共同生活をしたそうですが、それを解消した後も、そこで知り合った求道者の家族が、また近所の人を教会に連れてくるそうです。必要物資をもらうために来ることもありますが、また困っていることの相談に来られる、そうして求道者が伝道していると聞きました。別の教会でも、求道者の中に石巻出身の方がいて、教会にある物資とトラクトを、石巻の親戚に何度も運びにいった人がいたということも聞きました。面白いことに、教会員ではなく求道者が熱心に伝道しているというのです。どうしてかなと考えたのですが、今まさに心の拠り所を必要としているとき、キリスト者はそれをもうすでに持っていますから、それほど切実ではないわけですが、求道者は自分もまだそれを十分に確立できているわけでなく、そのことに敏感になっていますから、一般の人たちが心の飢え渇きを覚えながら、どこによりすがっていったら良いか分からない中で何かを漠然と求めている、そのことを求道者の方は良く分かるからなのだと思いました。


 とはいえ東北中会の諸教会も大きな被害を受けたわけで、幸い教会員の無事は確認できましたが、余震のときに亡くなられた方がおられたと聞きます。また教会員や求道者の家族、親戚まで広げていくと、親や息子、兄弟を亡くされた方、あるいは依然として行方不明のままだという方は何人もおられます。家を流された方、全壊、半壊といった被害に遭われた方、仕事場を失った方、今も避難所生活をしておられる方もおられます。会堂再建を必要とする教会もありますが、それは気が遠くなるほどの問題でもあります。こうした状況を抱えているわけですが、それでも東北の諸教会、先生がたは、これを契機に新しい東北中会にしていこうという意欲を抱いておられることを感じました。内向きではなくて、伝道していこうという思いで、目が外に向いているのです。そして今回の出来事によって、今までになかった新しいことが起きていることも伺いました。今回の震災を契機として、これまで交わったことのない教会、教派とも交わりがなされるようになったということで、それはカトリックからペンテコステ派までを含む、大きな交わりがなされているということです。これまではそうした諸教会がそれぞれ別個に東北伝道をしてきたわけですが、震災という大きな難題を前にして、とにかくキリストの教会が一つになって乗り越えていこうと団結するようになり、特に単立の教会など拠り所のない小さな教会をみんなで援助し、助けていこうということで、支援ネットワークというものが立ち上がり、それが色々な形での支援となって実を結んでいるということです。


 またこれまで手を伸ばしていなかった場所、つまり教会未開拓地区に、関わりをもつようになってきたということです。一番大きな被害にあったのは沿岸地区ですが、そこはどの教会もまだ伝道をしていない地区でもありました。そこはこれまで何の接点もなかったので、とっかかりをつかむことができなかったわけです。しかしそうした地区が甚大な被害をこうむり、汚泥や家屋の片付けを必要としていて、多くのボランティアが活動しているわけですが、一般の方々もそうですが、教会もそうした活動に積極的に取り組むようになっています。改革派でも、ボランティアセンターのような役割を担っている教会がありますが、面白いことにそうして教会がボランティア活動をしている地区は、これまでほとんど教会と関わりがなかった地区が多く、このような形で初めて関わりを持つようになったということでした。そうして被害の少なかった内陸部の教会を中心に、しかも超教派で、沿岸部へのボランティア、そしてゆくゆくは伝道ということが考えられているとも聞きました。本当に心躍らされるようなことです。その中である先生から強く訴えられました。東北には、まだまだ物資が必要だし、経済的な支援も必要で、また精神的なケアの必要もある。けれども今一番必要としているのは、福音だ、説教者を送ってほしい、期間限定でもいいから説教者を送ってほしいということでした。できればある期間、東北に定住して奉仕してくれる教師を送ってほしいということでした。何らかの形で、この要請に応えていきたいと願っています。たしかに東北、そして東北中会の諸教会は、多くのものを失いました。それは甚大な被害でした。しかしまたそれによって得たものもありました。しかもそれは失ったからこそ得たということであり、失わなければ得ることができないものでした。神さまは、本当に不思議なことをなさる方だと、改めて思わされました。このようにして、神さまはご自分の救いの業をなされます。人間の目には災いとか不幸と見えることなどを通して、さらに大きな幸いへとお導きくださる方です。そして閉ざされたと思うような困難な事態によって、さらに福音を押し広げ、救いの御業を進めていかれるのです。


3.宣教団から離脱したマルコ

 このことはまさしくパウロたちの伝道においても起こされたことでした。前回は、バルナバとサウロがキプロス島へと宣教旅行に赴いた中での出来事を見ましたが、その際「二人は、ヨハネを助手として連れて」いきます(使徒13 章5節)。このヨハネとは、「マルコと呼ばれるヨハネ」です。彼については、先週の午後礼拝で考えました。午後礼拝では、朝の礼拝で使徒パウロの生涯をたどるのに合わせて、パウロをめぐる主の働き人を取り上げていて、先週はこの「マルコと呼ばれるヨハネ」についてでした。ヨハネは、バルナバとサウロがエルサレムに飢饉被災のための救援に赴いた後、アンティオキアへと連れて来た若者でした(同12 章25 節)。ところが、この第一回伝道旅行において、パウロとバルナバがキプロスからパンフィリアのペルゲまで来たとき、「ヨハネは一行と別れてエルサレムに帰ってしま」います(同13 章13 節)。なぜマルコが途中で帰ってしまったのか、その理由はわかりません。しかし後にパウロとバルナバが、その伝道旅行で生み出した教会を再び訪問しようとした際、バルナバはマルコを連れて行くことを願いますが、パウロは途中で「自分たちから離れ、宣教に一緒に行かなかったような者は、連れて行くべきではない」と考え、それに反対します。それにより分裂してしまった二人は、「別行動」をとることになり、バルナバはマルコを連れてキプロスへ、パウロはシラスを連れて第二回伝道旅行へと旅立って行くということになってしまいます(同15 章36~41 節)。


 どういう理由でマルコが帰ってしまったかということについては、様々な説がありますが、どれが一番だという断定はできません。一つは、バルナバの故郷キプロス島での伝道であるならまだしも、対岸の内陸部での伝道におじけづいたから、あるいはそこでの困難さに二の足を踏んだからというものです。内陸の湿地帯にはマラリアの危険があり、あるいは山賊に襲われるといった危険もありました。パウロが受けた肉体のとげ(2コリント12 章7節)とは、このマラリアによって引き起こされた疾患のことではないかという説もありますし、パウロ自身「盗賊の難」について語っています(同11 章26 節)。まだ若いマルコが伝道地を前にしておじけづくのも無理はありません。あるいは伝道に嫌気がさしたとか、ホームシックにかかって帰ってしまったという説もありますが、もっと深刻なのは、パウロと対立したというものです。キプロスへと旅立ったときには「バルナバとサウロ」とあるように(使徒13 章4節)、明らかにバルナバがこの宣教団の団長を務めていました。ところがパフォスから船出したときには、「パウロとその一行」(13 節)、そして「パウロとバルナバ」(14 節)となっていて、それは主導権がバルナバではなくパウロに移ったことを意味しました。バルナバのいとこで、元々エルサレム教会の出身であったマルコにすれば、それは耐えられないことだったというのです。主導権が移ったこと自体に反発したのかもしれませんし、どこで伝道するのかという宣教地についての意見の対立があったのかもしれません。あるいは異邦人に伝道し、しかも割礼なし、律法なしで受け入れるというパウロの異邦人伝道やそのやり方に問題を感じたからなのかもしれません。実際この後バルナバとマルコは二人で連れ立って、再びキプロス島に赴きますから、二人はまだそこで伝道を続けたかったのに、パウロは対岸に渡ることを主張したため、対立してしまい、バルナバが折れることで丸く収まったけれど、マルコは抗議の意味を込めて宣教団から離れてしまったという説もあります。


4.人間の弱さと問題の中にあっても福音を広げていかれる神

 これは、後のエルサレム会議とアンティオキアで起きたパウロとペトロの対立とも関係があることですので、そのところで再び考えたいと思いますが、とにかくこのマルコの行動によって、これまで福音宣教に仲良く協力し合っていたパウロとバルナバが、後々喧嘩別れしてしまう結果となり、これまで共同して福音宣教にあたってきた二人の関係を引き裂き、分裂するに至ります。そして二人は、「別行動」をとることになり、バルナバはマルコを連れてキプロスへ、パウロはシラスを連れて第二回伝道旅行へと旅立って行くことになるのでした。福音宣教のために仲良く協力し合ってきた二人の指導者が、その福音宣教において争い合い、仲違いし、分裂してしまった、しかもその関係を修復できないまま、それぞれ別行動を取るに至ったというこの出来事を、わたしたちはどのように受け止めたらよいのでしょうか。パウロといえども弱く欠け多き人間にすぎないと言えば、そのとおりなのですが、これはあまりにも残念で、躓きすら覚える出来事ではないでしょうか。初代教会は理想的な教会で、そこでは聖霊の豊かな導きの中で福音がどんどん広げられ、教会は愛に満ち、恵みに満ちていたのだという幻想は、もろくも崩れてしまう出来事です。わたしたちは、教会は愛の世界で、初代教会は理想的な教会だったという幻想を捨てるべきです。教会は初めから問題に満ち、争いと分裂を抱いていました。指導者たちでさえ完璧で完全な人々だったわけではなく、多くの欠けと弱さをもった人間にすぎませんでした。しかしそこで覚えなければならないのは、まさにこのような罪人の集まりにすぎない教会のただ中でも、神は生きて働かれ、欠け多き人間を用いていかれるということです。そこでわたしたちは、どこまでも罪人の集団でしかない教会に理想を抱いたり、弱い人間でしかない指導者に期待をするのではなく、そのような者をさえ用いてご自身の働きを進めて行かれる神の働きを期待し、見つめるべきなのです。


 教会に問題はつきもので、問題のない教会はありません。しかしそれは教会が生きているということでもあります。死んでいるなら問題も起こりません。そして問題は、それ自体が必ずしも躓きとなるものではないことも覚える必要があります。問題が起こることが問題なのではなくて、それをどのように乗り越えるかが問題なのです。初代教会は、その成立の当初から問題続きでした。外からの圧迫と迫害に苦しめられながら、内側にも問題が生じました。使徒言行録6章に記された、へブライストとヘレニストの対立です。同じユダヤ人キリスト者でありながら、言葉と文化、生活様式の違いから互いに仲違いしていった、それは内部分裂を引き起こすような大問題でした。しかしその結果、七人の新しい役員が立てられるようになり、かえって教会は発展していくことになります。その後、外からの迫害が激しくなっていき、ついには多くのキリスト者が各地に散ってしまうという事態に陥りますが、そのことがかえって福音をエルサレムから各地へと広げていき、各地に新しい教会が立てられていく結果となっていきます。そこからついには異邦人にまでも福音が広げられていくようになったのでした。これが神のなさる方法なのです。問題が生じること自体は、神のせいではありません。神はわざわざ問題を起こして何かをしようとされるわけではなく、問題が起きたのはどこまでも人間の罪と弱さのせいでした。しかし神は、罪の結果生じた問題さえも用いて、ご自身の働きを進めて行かれる方なのです。問題を問題のままで終わらせるのではなく、それによってさらに大きな恵みと祝福をもたらすように導いてくださるのです。もし初代教会が問題のない、理想的な教会であったら、おそらく福音は世界へと広がっていくこともなかったでしょう。そこで安住してしまい、外に出て行くこともなかったからです。しかしそこに迫害が起きたから、外へと踏み出さざるをえなくなったのです。また問題が生じたとき、それに対応できるようにと新しい役員が立てられました。だから教会存亡の危機に立たされた時、教会はそれに対処する用意がなされました。ここでも二人の指導者が仲違いしたこと自体は、福音の前進に役立つことではなく、むしろ躓きになることであるわけですが、しかしそれによって宣教団が二つになりました。そしてそれによって福音がさらに広げられていく結果となったということをも覚えたいです。パウロとバルナバがいつまでも仲良しだったら、福音宣教もいつでもどこでも一緒で、いつまでも一つのチームのままだったことでしょう。しかしここで二つになっていくことで、さらに福音が各地へと広げられることになるのです。そして二人だった伝道者は、ここから四人の伝道者となっていくのです。とりわけバルナバが行ったキプロスは、早くから福音が広げられ、三世紀までには島のほとんどがキリスト者となるまでに福音が浸透していくことになり、中世を通じて長い間キリスト教王国として栄えていきます。またシラス、そしてテモテを新たに加えたパウロも、さらに伝道を続けていき、教会を生み出していくことになります。祈祷会で学んでいるテサロニケの教会も、このパウロ、シラス、テモテの働きによって生み出された教会なのでした。


5.問題をも幸いに変えてくださる神の摂理

 誤解してほしくないのは、聖書はこうした人間的な争いや問題を許容しているわけではないということです。ましてやそれを神が利用することで、ご自分の働きをなされたというわけではありません。問題はやはり問題であり、災いはやはり災いなのであって、神がそれを許容されるとか、ましては都合よく利用するなどということではないです。罪は罪、弱さは弱さなのです。しかしそのような人間的な失敗や問題さえも、生ける神はそれを善に変えてくださり、祝福へと変えていってくださるのです。人間の罪や悪を許容されるのではなく、できればそれを避けることが求められるわけですが、それでもなおそこで起きてしまう様々な問題や出来事について、神は恵みの御手を広げてくださり、その中にあってもわたしたちを導いてくださることで、災いを幸いに変え、問題を祝福へと変えていってくださるのです。わざとそのような困難へと導かれるわけではなく、原因はどこまでもわたしたちにあるわけですが、それでもそこで躓いてしまうことがないように、摂理の御手をもって導き続けてくださるのです。スイスのことわざに「人間の混乱と神の摂理」という言葉があるそうです。人間は自分たちの愚かさや弱さのゆえに、様々な問題に悩まされ、苦しみながら、混乱の中で生活を営んでいきます。しかしそうした人間の混乱を神は顧みてくださり、祝福に変えていってくださる、そこに神の摂理が働くというのです。ヨセフは語りました。「あなたがたはわたしに悪をたくらみましたが、神はそれを善に変え、多くの民の命を救うために、今日のようにしてくださったのです」と(創世記50 章20 節)。神はわたしたちたちに罪を犯させたり、失敗させることで、ご自分の業を行われるということではありません。それは摂理に対するまったくの誤解です。神はわたしたちが混乱するような事態へとわざと招かれるわけではありません。失敗するのはわたしたち自身の問題であり、罪を犯すのもわたしたちであって、神がそうさせることは絶対にありません。しかしその結果を自分で刈り取らなければならないわたしたちを神は憐れんでくださって、悪を善に変えてくださり、災いを祝福に変えてくださる、そこに神の摂理が働くのです。 


 わたしたちは自分たちがこうむる問題や災い、不幸や困難といったマイナス面ばかりではなく、それをさえプラスに変えていってくださる恵みの主を覚えていく必要があるのではないでしょうか。悪は悪であり、災いは災いです。そしてその責任はわたしたちにあるのであって、神ではありません。しかし憐れみ深い主は、そのような罪と弱さと悲惨に苦しむわたしたちのために、災いを幸いへと変えてくださり、問題から祝福を引き出していってくださるお方でもあります。そうしてわたしたちの人生を導いて、祝福へと整えていってくださるのです。今回の大きな災害についての意味を、わたしたちはまだ理解できませんし、今なお大きな困難に直面している多くの方々がおられることを忘れることはできません。しかし少なくともそのことから、これまでにない新しい方向が生み出されているのであり、そこからこれまで得ることができなかった新しい道が開かれようとしていることも事実です。このようにして神さまは、わたしたちを導いてくださるのです。災いさえも幸いに変え、問題さえも祝福に変えてくださる主を仰ぎながら、困難のただ中にあっても、なお主の恵みを信頼して歩み続けていきたいと思います。東北の協議会の最後の祈りの中で、ある先生が、これは産みの苦しみである、大きな苦しみだけれど、そこから新しいことがなされていくことを信じると祈られておられました。わたしたちの人生においても、同じことが言われるのではないでしょうか。すべてのことを御手ににぎりしめて、幸いへと変えていってくださる主に信頼して、これからも歩み続けていきたいと思います。