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第14課 「隔ての壁」を越えて一つとなる

キリストのすばらしさに捕らえられてー使徒パウロの生涯


第14課:「隔ての壁」を越えて一つとなる(使徒11 章1~26 節、2011 年4月10 日)


《今週のメッセージ:キリストにあって一つ(ガラテヤ3章2 8 節)》

 サウロが「異邦人の使徒」として整えられていく十数年の間に、使徒言行録はペトロによる異邦人伝道を伝えます。それは異邦人伝道へとサウロ一人が整えられただけではなくて、教会もそのように変えられ、整えられていったことを表します。サウロが異邦人の使徒として異邦人伝道へと遣わされていき、そこで大きな成果を上げるようになるためには、教会も異邦人伝道へと開かれていくようにと、教会自体も変えられていく必要があったのでした。そこには、ユダヤ人と異邦人との間に高く聳え立っていた「隔ての壁」という問題があったからでした。律法で「汚れている」とされる異邦人と交わることを忌み嫌い、避けてきたユダヤ人キリスト者にとっては、同じ信仰者として異邦人と交わり、共に礼拝をするということも受け入れがたいものでした。しかしそうした彼らを、福音が変えていきます。どんな人をも清くない者とか、汚れている者とか言ってはならず、神は人を分け隔てなさらない」ことを教えられた教会は、この「隔ての壁」を乗り越えて、「キリスト・イエスにおいて一つ」とされていきます。そしてこの両者を一つとするのが「十字架」であり、この十字架によってわたしたちは「一つ」とされていくのです。


1.アンティオキア教会の由来

 前回は、故郷タルソスに戻ったサウロについて考えました。使徒9章30節で、「兄弟たちは、サウロを連れてカイサリアに下り、そこからタルソスへ出発させた」という記事の後、サウロは使徒言行録からしばらく姿を消して、次に登場するのは11章25、26節です。「それから、バルナバはサウロを捜しにタルソスへ行き、見つけ出してアンティオキアに連れ帰った。二人は丸一年の間そこの教会に一緒にいて多くの人を教えた」。その間、十年以上の年月が流れていることになりますが、そのサウロが再登場する前に記されるのが、アンティオキア教会の由来でした。ステファノの殉教によって引き起こされた迫害により、エルサレムに住む信徒たちは「フェニキア、キプロス、アンティオキア」と各地に散らされますが、そこで「散って行った人々は、福音を告げ知らせながら巡り歩い」ていきました(8章4節)。当初はユダヤ人以外には御言葉を語りませんでしたが、彼らの中から「ギリシャ語を話す人々にも語りかけ、主イエスの福音を告げ知らせ」る者が現れ、「信じて主に立ち帰った者」が多かったため(11章19~21節)、ユダヤ人だけではなくそこに異邦人を含んだ教会が生み出されていくことになります。それがアンティオキア教会で、後に異邦人伝道の拠点となりますが、サウロがバルナバに連れられてきたのは、そのような教会でした。サウロがこの教会に赴任したとき、そこにはすでに他の教師がいました。バルナバを筆頭に、「ニゲルと呼ばれるシメオン、キレネ人のルキオ、領主ヘロデと一緒に育ったマナエン」といった預言する者や教師たちがいて、サウロはその一人に迎え入れられたのでした(13章1節)。どうしてバルナバは、この教会にサウロを連れてきたかというと、

このアンティオキア教会には、サウロを必要とする理由があったからでした。それはこの教会が、エルサレム教会とは違う事情を抱えていたからで、それは一言で言うと、異邦人キリスト者と異邦人伝道の問題でした。


 ユダヤ人キリスト者によって創始されたエルサレム教会には、「ヘブライ語を話すユダヤ人」すなわちヘブライストのキリスト者だけではなく、「ギリシャ語を話すユダヤ人」すなわちヘレニストのキリスト者も少数ながらいて、彼らのためにステファノを筆頭とする「七人」の指導者が立てられていました(使徒6章1~6節)。しかしステファノが処刑されたことで起きたエルサレムの大迫害により、キリスト者たちが「ユダヤとサマリアの地方」に散らされてしまったわけですが(8章1節)、そこでエルサレムを追放され、散らされたのは、エルサレム教会のすべてのキリスト者だったわけではなくて、「ギリシャ語を話すユダヤ人」すなわちヘレニストのキリスト者だったと考えられます。「使徒たちのほかは」という表現によって、ただ「使徒たち」だけではなく、彼らによって指導されていたエルサレム教会の多数派であった「ヘブライ語を話すユダヤ人」すなわちヘブライストのキリスト者たちはそのまま残ることができました。サウロが追いかけて迫害したのも、「ギリシャ語を話すユダヤ人」すなわちヘレニストのキリスト者でした。どうしてかというと、この両者の間には律法と神殿に対する姿勢において違いがあったからでした。ヘレニスト・キリスト者は律法について自由で、神殿に対して批判的であったのに対して、ヘブライスト・キリスト者は、後にヤコブがその第一人者となるように、「熱心に律法を守っていま」した(21章20節)。だから彼らはサウロの迫害を免れることができたのです。


 サウロがキリスト者を迫害したのは、彼らが律法に違反し、それを軽んじる生き方をしていると見なしたからで、義憤に駆られてしたことでした。そこでサウロの迫害によって、律法に対して自由な立場をとったヘレニスト・キリスト者が一掃されたことで、律法遵守に熱心なヘブライスト・キリスト者ばかりとなったエルサレム教会は、その傾向をますます強めていくことになるのに対して、ヘレニスト・キリスト者によって構成されたアンティオキア教会は、律法に対して自由で、それが異邦人への伝道へと広げられていくことになると共に、それによって生み出された異邦人キリスト者との交わりと彼らとの共なる礼拝が実現していくようになります。まさにそこに、かつて彼らをエルサレムで迫害し追放した、元・教会の迫害者であり、律法学者であったサウロを連れてきたのは、どういうことでしょうか。それは彼がかつての立場とまったく逆転したからでした。つまり今やサウロは、律法から自由な福音を語る伝道者となっていて、かつての自分の立場を論破する福音宣教者として、キリキア・シリアで知られる存在となっていたからでした。エルサレム教会の出身でありながら、自身もディアスポラ(離散ユダヤ人)であったバルナバも、ヘレニストではありませんでしたが、律法に対しては自由な立場をとっていて、それをより強固なものとしていくためにも、サウロを必要としたのでした。こうしてアンティオキア教会に連れてこられたサウロは、これまで個人で果たしてきた福音宣教の働きを、教会という後ろ盾の中で、共同で果たすようになります。そしてそこでのバルナバとの共同の働きは、これまで自分が試行錯誤しながら果たしてきた異邦人伝道を、より深く考え直して整理づけていき、一年後には伝道旅行へと旅立っていくわけですが、そのために必要な準備をさせ、最後の仕上げとなる期間とされていったのでした。こうしてサウロがこれまでたどってきた、ダマスコ・アラビア・エルサレム・タルソスでの働きは、決して無駄ではなく、これからの働きに十分に役立つものとして整えられていくものとなるのでした。


2.異邦人伝道へと道を開いていかれる神

 こうしてサウロが「異邦人の使徒」として整えられていく十数年の間に、使徒言行録は専らペトロによる異邦人伝道の様子を伝えます。これは時系列からしてそうだというだけではなくて、ルカは十分に考え抜いた上で、このような記述をしています。それは異邦人伝道へとサウロ一人が整えられただけではなくて、実は教会もそのように変えられていき、整えられていったことを表します。逆に言えば、教会がそのように変えられるまで、サウロは待たされていたということでもありました。母体となる教会は、異邦人伝道へとまだ整えられていませんでした。サウロはすぐさまそれに赴いていったわけですが、そこでは彼自身も成果を上げられなかったというだけではなくて、たとえそこで成果があったとしても、それを受け入れる受け皿が、まだ教会にはありませんでした。教会自体も、異邦人伝道へと変えられていき、整えられていく必要があったのであり、サウロはそのために待たされてきたということもできます。サウロが異邦人の使徒として異邦人伝道へと遣わされていき、そこで大きな成果を上げるようになるためには、教会も異邦人伝道へと開かれていくように、教会自体も変えられていく必要があったのでした。そしてそのことが、サウロがタルソスに行ったときと(9章30 節)、それから十年ほど経てアンティオキアに行くまでの記事(11 章25、26 節)の間に挿入されている出来事であり、それがペトロの異邦人伝道とアンティオキア教会のことなのでした(9章31 節~11 章24 節)。これらの出来事をたどっていくとき、異邦人伝道へと開かれていくことのために、神が着々と事を進めていかれた次第を見ていくことができるのです。


 使徒言行録は、イエス・キリストの福音がユダヤ人を越えて、まずサマリア人へと、そしてさらには異邦人にまで広げられていく様を語ります(8章4~40 節)。エルサレムでの迫害によって各地へと散らされていった人の中に、「七人」の一人であるフィリポがいました。彼は、ユダヤ人の敵とされていたサマリア人の許に赴いて、福音を告げ知らせていきました。そしてフィリポの伝道は成功を収め、多くの「サマリアの人々が神の言葉を受け入れ」ました(8章14 節)。そこでペトロとヨハネが遣わされ、二人は「サマリアの多くの村で福音を告げ知らせて」いきます(8章25 節)。そしてさらに福音は、エチオピアの宦官にも伝えられ、主イエスを信じた宦官はただちに洗礼を授けられ、キリスト者とされます。こうして異邦人の初穂がもたらされていくに至ったのでした(8章38 節)。そしてそこに教会の迫害者サウロの回心が起こされ、ダマスコ・アラビア・エルサレム・タルソスという行程が記されていきます(9章1~30 節)。その後ペトロが登場し、リダとヤッファでの働きと(9章32~43 節)、カイサリアのコルネリウスの回心の出来事が続きます。そこに登場するコルネリウスも、エチオピアの宦官と同じく「神を畏れる人」、すなわちユダヤ教に帰依した信仰心溢れる異邦人でしたが、そこで主イエスを信じて洗礼を受けます。そこには彼の家族と共に多数の友人も共にいて、一緒に主を信じ洗礼を受けましたから、そこに教会が生み出されることになりますが、その教会の構成員は多数が異邦人でした。こうして使徒言行録は、福音がユダヤ人を越えて異邦人の初穂を生み出しただけではなく、異邦人からなる教会が生み出されていったことも明らかにしていきます。そしてそこには、ただ教勢が拡張し、伝道が進展して、多くの人が集まるようになったということだけではなく、そこに新たな問題が生じてきたことも明らかになります。そこでは、ユダヤ人であるキリスト者が越えなければならない問題が生じてきたのでした。それは、ユダヤ人と異邦人との間に高く聳え立っていた「隔ての壁」の問題でした。


3.「隔ての壁」を打ち破られる神

 週報の表紙に、エルサレム神殿の中に築かれていた「隔ての壁」と呼ばれていたものの碑文を掲載しました。エルサレム神殿には、「異邦人の庭」とよばれる境内があって、そこは異邦人でも自由に出入りできる場所でした。しかしその中に、その先はユダヤ人しか入ることができない神域というものがあって、そこを隔てるために垣根がめぐらされ、そこに碑文が置かれていました。それが「隔ての壁」と言われるもので、そこには「異邦人は誰でも神域の周囲の囲いの内側に入ることはできない。この禁を犯して捕らえられた者は誰しも死刑を免れることはできない」とギリシャ語、ヘブル語、ラテン語で書かれていたそうです。ユダヤ人と異邦人との間には、越えられない壁が築かれていて、両者は互いに合い混じることができない関係にあり、この「隔ての壁」はそれを象徴するものとなっていました。それは一緒に食事をすることも、挨拶を交わすことさえしないほどの関係で、ユダヤ人が異邦人の家に入るということもありませんでした。それほど両者は厳しく区別されていたのです。このような断絶した関係も、ユダヤ人がユダヤ人だけで生きていく分には不都合がなかったわけですが、ユダヤ人がクリスチャンとなり、その教会に異邦人が入ってくるようになると問題が生じるようになります。クリスチャンといえども、ユダヤ人として生きるかぎりにおいては、決して異邦人と共に食事をしたり、家に入って交わりを持つということはできないことだったからでした。そうすると自分自身が汚れてしまい、律法違反となりますから、神から拒絶されてしまうと恐れたからでした。しかし家に入ったり、一緒に食事ができないということは、当時の教会においては、共に礼拝することが

できないことを意味しました。一世紀の教会は家の教会で、礼拝はそれぞれの家で共に食事を取る中で行われていたものだったからでした。食事の中で旧約聖書が読まれたり、パウロの手紙が読まれたり、その解説や奨励が語られたり、祈ったり、賛美したり、聖餐が行われたりしていました。そういった礼拝を、ユダヤ人と異邦人は別々に行わなければならないことになり、一つの教会として形作っていくことができませんでした。ユダヤ人クリスチャンと異邦人クリスチャンの間には、両者が越えなければならない「隔ての壁」というものがあったのであり、それを越えられなければ、今日のように福音が世界へと広がっていくことはできませんでした。福音が世界へと広げられていくためには、ユダヤ人と異邦人の両者が互いに越えていかなければならない「隔ての壁」というものがあったのでした。


 福音がギリシャ人を始めとする異邦人にも伝えられたということは、同じセム系住民を越えて世界の様々な民族、つまり異邦人にも同じように神の救いと恵みが広げられていくことを彼らが理解したということでもありました。それはわたしたちにとっては当たり前で自明なことですが、彼らユダヤ人にとっては、全く考えられないことでした。ユダヤ人にすれば、神の救いはイスラエルに対する約束であり、神の恵みはあくまでもユダヤ人だけのものだと理解されていたからでした。だから彼らは、ユダヤ人として、つまり神の律法に忠実な民として生きてきたのです。その神の恵みの独占が崩れて、異邦人すべてに広げられるということは、ユダヤ人である彼らには理解できることではなかったし、理解したくないことでもありました。そして律法で「汚れている」とされる異邦人と交わるどころか、接触することさえ忌み嫌い、避けてきた彼らには、神の恵みを自分たちと同じように異邦人も預かるということは考えられなかったし、同じ信仰者として交わるということも受け入れがたいものでした。しかしそうした彼らを、福音が変えていくことになるのです。福音によってペトロが変えられたことは、彼がサマリア伝道に赴いたということと、さらには「皮なめし職人シモン」の許に滞在したことによっても明らかです(9章43 節)。当時のユダヤにおいては、「皮なめし」という仕事は、律法で汚れているとして触れることを禁じられた動物に接触せざるをえない面があったために、「汚れた」仕事と見なされ、その職業に就く者は律法に違反する罪人として、社会的にも宗教的にも疎外され、排除され、差別を受けていました。そのような仕事に就いている人と接触し、交流を持つだけで「汚れる」とされていました。そのシモンの家に滞在したとは、ペトロも律法的には「汚れる」ことを意味します。しかしこのことが、後の異邦人コルネリウスとの出会いと、彼の救いにつながっていくことになるのです。ここでペトロがまだ依然として律法的な汚れに拘泥し、そのような人間的な隔てに固執する人であったなら、コルネリウスにまで福音が伝えられることがありませんでしたし、異邦人による教会が生み出されることも、福音がユダヤ人を越えて世界へと広げられていくこともありませんでした。


 神はこのように福音が異邦人にも広げられるものであり、神ご自身は異邦人をも分け隔てなく愛し、恵み、祝福し、ご自身の救いにあずからせようとしておられるということを、はっきりとご自身の意志としてペトロに明らかにされたのでした。そのため神は、ここで彼に幻を見せられます。それは律法で禁じられている動物を食するというものでした。これまで律法で禁じられた汚れた物を口にしたことがないペトロにとって、それはおぞましいことであり、忌むべきことでした。そこでペトロは思わず、「主よ、とんでもないことです。清くない物、汚れた物は何一つ食べたことがありません」と答えてしまいます(使徒10 章14 節)。この感覚はわたしたちには分かりにくいものです。以前お話ししたことがありますが、親しくしていた大学教授が、アメリカからユダヤ人の教授を家に招待したとき、日本に来る前に、こう言われたというのです。自分たちはユダヤ人が食べることができる食事しかしないので、食材は律法の規定にかなうものだけを使ってほしい。また自分たちが使う皿やコップといった食器やフォーク、ナイフ、スプーンなどもすべて新品を用意してほしい。さらには料理する釜や鍋といったものも、全部新品を使って料理してほしいということでした。そこには豚といった律法で禁じられている動物などが残されているからということでした。ユダヤ人は今日でもこのように律法を守り行っているわけです。逆の立場に立てば、自分が汚れたものに触れたり、関わることはできないという感覚は理解できるわけですが、それに縛られている限り異邦人との交わり、共なる礼拝は不可能で、それが異邦人との交わりを隔ててしまうものとなっていくことになります。ペトロたちユダヤ人キリスト者が乗り越えなければならなかった問題とは、このようなものなのでした。


 しかしそこで神はペトロにはっきりと、ご自分の意志を語られます。「神が清めた物を、清くないなどと、あなたは言ってはならない」と(同15 節)。しかもこれを三度もくり返すことによって、この神の意志が強固なものであることを彼に悟らせるのです。その後で、この幻が意味していたことを明らかにされました。「神はわたしに、どんな人をも清くない者とか、汚れている者とか言ってはならない」ということなのだと(同28 )。そこで恐れず異邦人コルネリウスの家を訪れたペトロは、「神は人を分け隔てなさらない」(同34節)ことを深く理解するに至ります。そこで異邦人であったコルネリウスの三人の使者を家に迎え入れ、彼らと共に食事をし、家に泊めさせさえします(同23 節)。そこでペトロ自身が「あなたがたもご存知のとおり、ユダヤ人が外国人と交際したり、外国人を訪問したりすることは、律法で禁じられています」と語るとおり(同28 節)、これはユダヤ人としては考えられないことでした。しかもペトロは、彼らと共に連れ立って旅行をし、彼らの家つまり異邦人の家の中に入り、異邦人の交わりの中に分け入っていきますが、このこと自体彼らユダヤ人には禁じられていることでした。かつて主イエスをピラトに訴え出た祭司長たちは、「汚れないで過越の食事をするため」に、総督官邸の中には入ろうとせず、そこで仕方なくピラトの方が外に出向いていって彼らと面談するということがありました(ヨハネ18 章28、29 節)。それほど異邦人との接触を嫌うユダヤ人にとっては、ペトロのした行為が理解できず、後でペトロを非難します(使徒11 章3 節)。それは彼らには、とうてい受け入れられることではなかったからでした。


 このようにペトロが、律法で汚れているとされる異邦人と接触し、交流をもったことは、ペトロが寛大で心の広い寛容な心の持ち主だったからということではありませんでした。彼自身はなお依然として律法に捕らわれている者にすぎませんでしたが、そのペトロの心の狭さと人に対する「隔ての壁」を、神ご自身が突き崩し、打ち破って、ペトロの心を徐々に変えていかれたからです。「神は人を分け隔てなさらない」、だから「どんな人をも清くない者とか、汚れている者とか言ってはならない」ことが神の意志であることを明確に示して、ペトロの頑なな心を変えていかれたのです。そのしるしこそ、異邦人にもユダヤ人と同じように聖霊が注がれたということでした。「ペトロがこれらのことをなおも話し続けていると、御言葉を聞いている一同の上に聖霊が降った。割礼を受けている信者で、ペトロと一緒に来た人は皆、聖霊の賜物が異邦人の上にも注がれるのを見て、大いに驚いた」(10 章44 節)。そしてこのことが、他のユダヤ人キリスト者をも納得させる根拠となっていきます。「『わたしが話しだすと、聖霊が最初わたしたちの上に降ったように、彼らの上にも降ったのです。こうして、主イエス・キリストを信じるようになったわたしたちに与えてくださったのと同じ賜物を、神が彼らにもお与えになったのなら、わたしのような者が、神がそうなさるのをどうして妨げることができたでしょうか。』この言葉を聞いて人々は静まり、『それでは、神は異邦人をも悔い改めさせ、命を与えてくださったのだ』と言って、神を賛美した」(11 章15~18 節)。福音が世界へと広げられていくために乗り越えなければならない大きな壁、それはユダヤ人と異邦人との間に厳然と聳え立っていた、この「隔ての壁」でした。しかしこの「隔ての壁」を、神ご自身が突き崩し、打ち破って、隔てられている両者を「キリスト・イエスにおいて一つ」(ガラテヤ3章28 節)としていかれたわけですが、それは聖霊の働きによるものでした。こうして使徒言行録は、イエス・キリストの福音がユダヤ人の枠と制限を越えて、異邦人や宦官といった、これまで神の恵みと救いからしりぞけられてきた人々が、神の前に等しく招かれ、その恵みにあずかるようにされていったことを明らかにするのでした。これは、ユダヤ教という民族に縛られた枠を大きく踏み越えて、普遍的な人類の救いへと広がっていくキリスト教として新しく展開していくことの、大きな転換点となる出来事なのでした。


4.キリスト・イエスにおいて「一つ」とされていく

 これらのことは、単なる個々人の問題ではありません。ペトロが異邦人との間の「隔ての壁」を乗り越えて、交わりを持つように変えられたという、一人一人が人間的な差別や隔てを乗り越えていくという個々人の次元の問題だけなのではなくて、それは教会が異邦人に対してどうあるかという、共同体としての教会としてのあり方の問題でもあったからでした。ここで問われているのは、ペトロ自身の差別撤廃という個々人が「隔ての壁」を乗り越えていくということではなくて、共同体としての教会の交わりにおいてもそうであるという、教会の問題でもあります。わたしたちの内にも、またわたしたち同士の間にも、「隔ての壁」がないかどうか、考える必要があります。このことは、教会が大きくなり、新しい人が増えていく中で、わたしたちの教会においても起きる問題だからです。古い体質を残したまま新しい人が増えていって、教会が大きくなっていったとき、新しく加わった人たちが教会の交わりの中に入りきれないという思いを抱いてしまうことがあります。そうであるとしたら、同じ問題がわたしたちの教会にもあることになります。しかしまたそれは逆も同じで、自分たちはこの教会から排除されていて交わりに溶け込めないと、今度は似た者同士の仲間内だけで固まっていき、そうすることで自分でも気づかないうちに他の教会員たちを、「あちらとこちら」で区別し、知らないうちに排除しているということがないかどうか、もう一度良く考え直さなければなりません。イエス・キリストの信仰は、そのようなわたしたちの間に築かれていく「隔ての壁」を打ち壊し、突き崩していくものです。パウロはこう宣言しました。「あなたがたは皆、信仰により、キリスト・イエスに結ばれて神の子なのです。洗礼を受けてキリストに結ばれたあなたがたは皆、キリストを着ているからです。そこではもはや、ユダヤ人もギリシア人もなく、奴隷も自由な身分の者もなく、男も女もありません。あなたがたは皆、キリスト・イエスにおいて一つだからです」と(ガラテヤ3章26~28 節)。


 教会の交わりは、イエス・キリストにあって本当に「一つ」とされていかなければなりません。そのことこそ、ここでペトロが強調している、「イエス・キリストはすべての人の主」(10 章36 節)ということなのです。イエス・キリストの福音は、人間同士の間に繰り返し建てられ続けていく「隔ての壁」を突き崩し、打ち破っていく力を持っています。福音が世界へと広げられるために乗り越えられなければならなかった大きな壁である、ユダヤ人と異邦人との間に厳然と聳え立っていた「隔ての壁」を、福音自身が打ち破り、隔てられている両者を、「キリスト・イエスにおいて一つ」にしていきました。隔てられた両者が「一つ」とされていくのは、ただイエス・キリストによってなのです。「この方を信じる者はだれでもその名によって罪の赦しが受けられる」のであり(10 章43 節)、そこにはユダヤ人と異邦人という人間的な区別や差別はありません。そして主イエスは、この人間同士の間に存在する「隔ての壁」を打ち破り、突き崩すためにも、十字架におかかりくださったのでした。主は、「隔ての壁」によって分けられたわたしたちが「一つ」となるために、十字架にかかってくださいました。それによって神とわたしたちとの間の「隔ての壁」を突き崩してくださると共に、わたしたち相互の間にもある「隔ての壁」をも打ち砕いてくださるためでした。そのことが生きた形でアンティオキア教会で実践されている様を見たパウロは、こう語ることができました。「キリストは、わたしたちの平和であります。二つのものを一つにし、ご自身の肉において敵意という隔ての壁を取り壊し、規則と戒律ずくめの律法を廃棄されました。こうしてキリストは、双方をご自分において一人の新しい人に造り上げて平和を実現し、十字架を通して、両者を一つの体として神と和解させ、十字架によって敵意を滅ぼされました。それで、このキリストによってわたしたち両方の者が一つの霊に結ばれて、御父に近づくことができるのです」と(エフェソ2章14~18 節)。十字架のキリストこそが、敵対する両者を和解させ、敵意を滅ぼして一つに結び合わせてくださるのです。この方を「かなめ石」(同20 節)として建てられた教会は、十字架によって一つとされる共同体のはずです。十字架につけられ復活されたキリストへの信仰、これ以外のところでわたしたちを「一つ」とするものはありません。そしてこの主の十字架こそが、わたしたちの間に厳然として聳え立ち、さらには日々に築き合っている、この「隔ての壁」を突き崩していく唯一つのものです。わたしたちは、わたしたちのために十字架にかかって死に、復活してくださった主イエスを信じる信仰によってこそ「一つ」とされていきます。そしてそのようにわたしたちが「一つ」とされていくのは、「一つの霊に結ばれて」いくことにおいてです。「平和のきずなで結ばれて、霊による一致を保つように努めなさい。体は一つ、霊は一つです。それは、あなたがたが、一つの希望にあずかるようにと招かれているのと同じです」(エフェソ4章3、4節)。その主イエスに対する信仰において、わたしたちを新しい一人の人」として造り上げられていくのは「一つの霊」です。そのことを覚えながら、聖餐にあずかりましょう。「パンは一つだから、わたしたちは大勢でも一つの体です。皆が一つのパンを分けて食べるからです」(1コリント10 章17 節)。わたしたち相互の間に存在する様々な「隔ての壁」が、聖霊の働きによって突き崩されて、十字架の主を中心とした真実な交わりが形作られていくことを祈り求めていきたいと思います。