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第9課 失敗と挫折という「恵み」の訓練

キリストのすばらしさに捕らえられてー使徒パウロの 生涯


第9課:失敗と挫折という「恵み」の訓練(使徒9章 19b~25 節、2011 年2月 27 日)


《今週のメッセージ:失敗と挫折という「恵み」の訓練(ヘブライ 1 2 章 1 1 節)》

 サウロはダマスコで幸先の良いスタートを切りました。まさにそのためにサウロ はこれまで備えられてきました。サウロには、満ち溢れる才能と賜物と資質があり、 それがこれからの働きにおいて用いられていくことになります。しかしそのように 賜物に満ち溢れたサウロが、そのまま用いられたのでしょうか。それらの賜物や資 質が「主のために」用いられるようになるためには、通らなければならない訓練が ありました。それは「生まれながらの自分」というものが打ち砕かれて、新しく変 えられていくということで、そこを通らないままで、生まれながらの賜物や資質が そのまま用いられるということはありません。賜物と自信に満ち溢れたサウロだか らこそ、必要だった訓練とは、生まれながらのサウロ、自分に自信をもち、強い自 負心をもって自分に寄り頼んで生きてきた肉のサウロが、とことん打ち砕かれて、 ただ神に寄り頼み、ひたすら神の力によって立っていくように、変えられていくと いうことでした。サウロは最初の伝道で失敗し、挫折します。しかしその経験を経 たからこそ、神から与えられた賜物を十二分に生かす、主に用いられる器へと変え られていくことになります。失敗と挫折、それは神からの「恵み」の訓練なのです。


1.アナニアの忠実な働き

 以前「インディージョーンズ」という映画が何作か放映され、テレビでもやりましたか らご覧になった方もおられると思います。その中に、キリストの聖杯をめぐるものがあり ました。聖杯というのは、主イエスが最後の晩餐で使った杯のことで、その杯で水を飲む と永遠の命を得られるというので、敵味方が入り乱れての争奪合戦が繰り広げられた内容 のものですが、そのシーンの中に、インディージョーンズとその仲間が、人が一人やっと 通れるくらいの岩と岩の間を馬で走り抜けると、目の前に巨大な岩をくりぬいて作った宮 殿のようなものが突然現れるというシーンがあります。これはヨルダンにある本物の遺跡 を使って撮影されたもので、かつてそこで繁栄していたナバテヤ王国という国の首都であ ったペトラの遺跡でした。ペトラとは岩という意味ですが、その通り、この町は巨大な岩 盤をくりぬいて無数の地下通路を張り巡らした、岩石の中の地下都市でした。今は廃虚と 化したペトラの遺跡も、サウロの時代にはローマ帝国とも張り合うほど繁栄した時代があ りました。今回はこのナバテヤ王国というのを、後で考えていきたいと思います。


 パウロの生涯をたどる礼拝の学びは、サウロの回心の出来事まで進みました。ダマスコ へと急ぐ道の途中で復活の主イエスと出会ったサウロは、人々に手を引かれて町に入り、 「直線通り」と呼ばれる通りに面したユダの家に連れて行かれます。そこでサウロは三日 間、目が見えないまま、食べも飲みもせず、祈った様子を前回考えました(使徒9章9、 11節)。そのサウロの許に遣わされたのが、アナニアというダマスコ在住のキリスト者で した。彼は「律法に従って生活する信仰深い人で、そこに住んでいるすべてのユダヤ人の 中で評判の良い人」でしたが(使徒22章12節)、ダマスコ教会を絶滅させるためにエルサ レムからサウロという迫害の指導者が到着することを、すでに聞いて知っていました。主 が幻の中で彼に現れ、「立って、サウロという名の、タルソス出身の者を訪ねよ」と求め られたとき、彼は答えます。「主よ、わたしは、その人がエルサレムで、あなたの聖なる 者たちに対してどんな悪事を働いたか、大勢の人から聞きました。ここでも、御名を呼び 求める人をすべて捕らえるため、祭司長たちから権限を受けています」と(使徒9章13、 14節)。もしこの時、アナニアが主に従わず、サウロの許を訪問しなかったら、後の大伝 道者パウロは生まれなかったかもしれません。すでにサウロは名うての悪党として、ダマ スコやその周辺のキリスト者の間では評判となり、恐れられていましたから、ここでアナ ニアがしり込みし、恐れるのも当然でした。主からの言葉を受けても、おそらくアナニア はなお半信半疑で、恐れを抱いたままだったのではないでしょうか。しかしそれでもアナ ニアは、「行け」という主の言葉に従います。こうして「異邦人の使徒」であるパウロが生 み出されるために、アナニアはとても重要な働きをしていくことになったのでした。


 福音が世界へと広げられていくためには、このように目立たないけれど、忠実に自分の 務めを果した無名の、そして無数の弟子たちがいたことを、わたしたちは忘れてはなりま せん。たしかに福音が異邦人へと広げられるためには使徒パウロが必要でしたが、しかし それはパウロ一人の働きだというのではなく、無数の無名のキリスト者たちの、主に忠実 な働きが背後にあっての働きでした。神の救いの働きは、限られたごく一部の目立つ人た ちによってだけでなされる働きなのではなくて、そのような彼らを陰にひなたになって支 え続けていった、無数の無名の忠実な者たちによってなされていった、共同の働きなので した。教会も同じです。牧師一人が目立つのではなく、役員たちばかりが用いられるので もない、また賜物ある人ばかりが評価されたり活躍するのではなく、目立たないけれど隠 れた働きを忠実に担う人たちの、背後にある働きによってもなされていくのであり、こう して皆がそれぞれに自分の賜物に応じた働きを共に担いつつ、互いに負い合うことによっ て、一つの働きを主に献げていくものなのです。使徒パウロの背後には、アナニア、バル ナバ、テモテ、シラス、テトス、プルシキラとアクラ、フェベ、リディア、エパフラス、 エパフロデト、そしてさらにはここに名前ものぼらない無名の、しかし主に忠実に奉仕していった働き人たちが無数にいたことを忘れてはなりません。わたしたちも、その一人に 加えられていきたいのです。たとえ名を残すことがなく、賞賛されることがなかったとし ても、たとえ人から覚えられたり、感謝されることがなかったとしてもです。


2.アナニアたちによる信仰の導き

 こうしてアナニアはサウロの許に遣わされ、自分に委ねられた務めを果たします。「そ こで、アナニアは出かけて行ってユダの家に入り、サウロの上に手を置いて言った。『兄 弟サウル、あなたがここへ来る途中に現れてくださった主イエスは、あなたが元どおり目 が見えるようになり、また、聖霊で満たされるようにと、わたしをお遣わしになったので す。』」(使徒9章17節)。そしてそのときアナニアは、自分に告げられていたことをサ ウロに伝えます。「わたしたちの先祖の神が、あなたをお選びになった。それは、御心を 悟らせ、あの正しい方に会わせて、その口からの声を聞かせるためです。あなたは、見聞 きしたことについて、すべての人に対してその方の証人となる者だからです。今、何をた めらっているのです。立ち上がりなさい。その方の名を唱え、洗礼を受けて罪を洗い清め なさい』」(使徒22章14~16節)。サウロは、ダマスコ途上で復活の主に出会った際、す でに「異邦人の使徒」としての召命を受けていました。「わたしは、あなたが迫害してい るイエスである。起き上がれ。自分の足で立て。わたしがあなたに現れたのは、あなたが わたしを見たこと、そして、これからわたしが示そうとすることについて、あなたを奉仕 者、また証人にするためである。わたしは、あなたをこの民と異邦人の中から救い出し、 彼らのもとに遣わす。それは、彼らの目を開いて、闇から光に、サタンの支配から神に立 ち帰らせ、こうして彼らがわたしへの信仰によって、罪の赦しを得、聖なる者とされた人々 と共に恵みの分け前にあずかるようになるためである」と(使徒26章15~18節)。そして そのことはアナニアにも告げられていたことでした。「行け。あの者は、異邦人や王たち、 またイスラエルの子らにわたしの名を伝えるために、わたしが選んだ器である。わたしの 名のためにどんなに苦しまなくてはならないかを、わたしは彼に示そう」と(使徒9章15、 16節)。そのことをアナニアはサウロに伝えたわけです。それはサウロが自分は夢・幻を 見たのではないかと、そこで起きたことを信じられず、受けとめ切れないままでいること がないようにするための主の配慮でした。こうしてサウロは、本当に自分が「異邦人の使 徒」として主から召命を受けたことを、アナニアからも確認されることによって、確信を 得ることができたのでした。


 こうしてアナニアによって洗礼を授けられたサウロの、その後のことについて、ルカは さらりと記すだけです。「たちまち目からうろこのようなものが落ち、サウロは元どおり見 えるようになった。そこで、身を起こして洗礼を受け、食事をして元気を取り戻した」と (使徒9章18、19節)。しかしこのルカのさりげない言い方の中に、大切なことが隠されていることを考えなければなりません。まず、ここでの「『洗礼を受け、食事をした』は、 悔俊断食の終了を指すだけではなく、洗礼に伴う主の晩餐への参与を示唆している」と、 ある聖書学者は考えます(朴憲郁、『パウロの生涯と神学』、教文館、56頁)。そしてさ らにはそこで、洗礼のためのカテキズム教育もなされたのではないかと考えられます。「彼 はダマスコで洗礼を受けた時に、主イエスの名を呼び求め、この方に自己を告白したこと だろう(使徒22章16節参照)。その際にこの洗礼が、この新しい信仰による、すなわちイ エスへの信仰の根本内容に関する、いかなる教示も責務もなしにパウロに対して執行され た、と推定されてはならないだろう」と(同、58頁)。もちろんここでサウロは、復活の 主ご自身から直接に啓示を受けたわけです。しかしだからといって彼は、そこで自分独自 の「ひとりよがりな福音」を語っていったわけではなく、初期キリスト教の伝承をも踏ま えた「共通の福音」を語っていきます。パウロはこう語りました。「兄弟たち、わたしが あなたがたに告げ知らせた福音を、ここでもう一度知らせます。これは、あなたがたが受 け入れ、生活のよりどころとしている福音にほかなりません。どんな言葉でわたしが福音 を告げ知らせたか、しっかり覚えていれば、あなたがたはこの福音によって救われます。 さもないと、あなたがたが信じたこと自体が、無駄になってしまうでしょう。最も大切な こととしてわたしがあなたがたに伝えたのは、わたしも受けたものです」と。こうして「す なわち」と言って、キリストがわたしたちの罪のために死んだこと、葬られたこと、三日 目に復活したこと」を語り、弟子たちに現れた後、「最後に、月足らずで生まれたような わたしにも現れました」と続けます(1コリント15章1~8節)。また聖餐についても、 それが自分も受けた伝承であることを明らかにします。「わたしがあなたがたに伝えたこ とは、わたし自身、主から受けたものです」と述べた後、「すなわち」と言って、パンと 杯の制定の言葉を続けます(同11章23~25節)。


 あるいはまた、離婚問題について「既婚者に命じます。妻は夫と別れてはならない。こ う命じるのは、わたしではなく、主です」と言明し(同7章10節)、パウロが主の言葉の 伝承を受け継ぎ、それを根拠にして教えていることを明らかにします。パウロは、福音書 にはない「主の言葉」も知っていました。「イエスご自身が、『受けるよりは与える方が 幸いである』と言われた言葉を思い出すようにと、わたしはいつも身をもって示してきま した」と語っています(使徒20章35節)。またパウロの手紙には、当時の初期キリスト教 の礼拝などで用いられたと想定される賛美歌や信仰告白文が多数引用されています(フィ リピ2章5~11節など)。そういったものは、「第三者によって彼に伝達された」と考える のが自然で、「使徒の召命を受けて後に、彼は第三者から本質的なキリスト教伝承を・・・ 受け取った」はずでした(朴、前掲書、57、58頁)。それはいつ、誰からかということが 問題になりますが、おそらくその多くは、後にエルサレムのペトロの許に滞在した15日間 の間に(ガラテヤ1章18節)修得したと考えられますが、まずはここでアナニアから、そしてまたダマスコのキリスト者たちから受けたと考えることができるでしょう。アナニア がダマスコの教会でどのような働きをしていた人物だったかは定かでなく、ごく一般の信 徒であったのかもしれません。少なくとも他の信徒はそうでした。こうした一般の信徒に、 サウロを教えるだけの実力があったのかといぶかるなら、「主の道を受け入れており、イ エスのことについて熱心に語り、正確に教えていた」アポロを招いて、「もっと正確に神 の道を説明した」プリスキラとアキラという信徒がいたことを忘れてはなりません(使徒 18章24~26節)。少なくともダマスコの教会の礼拝で用いられていた典礼文(信仰告白文 や祈祷文や賛美歌など)を、サウロに継承させることはできたはずです。そしてそれをた だ伝えるだけではなくて、その説明もしたでしょうから、アナニアたちは、サウロに最初 のカテキズム教育を施したと考えることができます。こうしてアナニアとダマスコの教会 は、教会の迫害者サウロを使徒パウロへと整えていく上で、重要な役割を果たしていった のでした。


3.ダマスコでのサウロの宣教活動

 こうしてアナニアに導かれて洗礼を受けたサウロは、自分が「異邦人の使徒」として主 イエスの福音を宣べ伝えるために立てられたことを確信して、水を得た魚のように実に生 き生きとダマスコで福音宣教に取りかかります。「サウロは数日の間、ダマスコの弟子たち と一緒にいて、すぐあちこちの会堂で、『この人こそ神の子である』と、イエスのことを宣 べ伝えた。サウロはますます力を得て、イエスがメシアであることを論証し、ダマスコに 住んでいるユダヤ人をうろたえさせた」(使徒9章19、20、22節)。そこでサウロが宣べ伝 えた使信は、「イエスは神の子である」ということと「イエスはメシアである」ということ でした。こうして絶滅しようとしてきた教えを、これまでの聖書知識を駆使して、逆に最 も正確に論証するようになります。律法学者となるべき教育と訓練を受けてきて、しかも それに最も熟達していったサウロは、ユダヤ教の側でどのような聖書解釈をするか、どの ような論理立てをし、それをどのように論証するか、その手の内のすべてに精通していま した。そしてそれに基づいて、これまではキリスト教徒たちに反論を加えてきたのです。 ところが今度は、逆の立場に転じました。こうしてなされた回心者サウロの論証は、これ までキリスト教会がしてきた論証とは違う、より説得力をもつものとなったことが想像で きますから、困ったのはユダヤ教の側です。サウロは「ますます力を得て、イエスがメシアであることを論証し、ダマスコに住んでいるユダヤ人をうろたえさせた」とあるのは事 実でしょう。敵の武器に熟知し、その手を知り尽くした者による論証であっただけに、反 論することが非常に困難なものとなったはずでした。


 こうしてサウロはダマスコで、幸先の良いスタートを切ることができたと言うことがで きるでしょう。まさにそのために、サウロは幼少の時から律法教育を受け、ガマリエルの門下生となって、当時としては受けられる最高の教育を受けて、律法に最も習熟した者と なっていったのでした。そのように備えられたサウロを、神はご自身の器として選び取ら れたのです。サウロのこれまでの学びと経験は、これからの働きのために、そのすべてが 活用され、用いられていくことになるのです。サウロがなぜ主イエスの福音宣教のために 選ばれたか、それは彼こそその資質と賜物を得た人物だったからということは間違いはあ りません。彼がこれまで受けてきた教育と身につけてきた教養、そしてこれまで培ってき た経験のすべては、これから福音を宣べ伝えることのために活用され、用いられていくこ とになります。しかしそれだけの賜物と資質を持っていたから、ただちにサウロは用いら れたのでしょうか。サウロは、「生まれながらの彼」が変えられないままで、そのまま賜物 や資質が用いられるようになったわけではなく、それらの賜物や資質が本当に主のために 用いられるようになるために、彼が変えられていくべき、なお通らなければならないもう 一つの訓練があったのでした。


4.アラビアへの伝道

 回心した後のサウロについて、使徒言行録は、サウロがダマスコにしばらく滞在して福 音宣教を続け、その結果サウロ暗殺計画がくわだてられていることが発覚することで、ダ マスコから脱出するという筋書きになっています。「かなりの日数がたって、ユダヤ人はサ ウロを殺そうとたくらんだが、この陰謀はサウロの知るところとなった。しかし、ユダヤ 人は彼を殺そうと、昼も夜も町の門で見張っていた。そこで、サウロの弟子たちは、夜の 間に彼を連れ出し、籠に乗せて町の城壁づたいにつり降ろした」。しかし使徒言行録9章 22 節と 23 節の間には、そこに記されていない出来事がありました。「かなりの日数がたっ て」とある、その間、サウロはずっとダマスコにいたわけではなくて、アラビアに行って いたことが、彼自身の記述から分かります。「わたしを母の胎内にあるときから選び分け、 恵みによって召し出してくださった神が、御心のままに、御子をわたしに示して、その福 音を異邦人に告げ知らせるようにされたとき、・・・アラビアに退いて、そこから再びダマ スコに戻ったのでした」(ガラテヤ1章 15~17 節)。そこにはダマスコからアラビア、そ して再びダマスコという道行きが明らかにされています。使徒言行録9章 23 節以下は、 そのアラビアから帰ってきてからの出来事だったのでした。しかもここでユダヤ人の陰謀 によりサウロが殺されかけ、そのため城壁を籠に乗せられて脱出したことが記されていま すが、これはただ単に同胞ユダヤ人の陰謀だというだけではなくて、当時ダマスコにまで 支配を広げていたナバテヤ王国アレタ王(アレタス4世)の代官によるものでもあること をも、パウロは明らかにします。「ダマスコでアレタ王の代官が、わたしを捕らえようとし て、ダマスコの人たちの町を見張っていたとき、わたしは、窓から籠で城壁づたいにつり 降ろされて、彼の手を逃れたのでした」(2コリント 11 章 32、33 節)。ここで言うアラビ アとは、砂漠の広がるアラビア半島ではなくて、隊商による貿易で繁栄していたナバテヤ王国のことでした。それはダマスコに隣接する地域で、サウロはダマスコからそこへと福 音宣教の手を広げていったのでした。それがどれほどの期間からは不明ですが、おそらく 3年程度と考えられていますから(ガラテヤ1章 18 節)決して短い期間ではありません。


 ところが使徒言行録ではそのことが伝えられていません。それはなぜかということが問題なのですが、その一番大きな理由は、おそらくこのアラビア伝道が率直に言って失敗だ ったからということのようです。当初は、これまで弾圧していた福音を雄弁に語り、逆に 力強く論証したので、人々を驚かせることに成功しました。しかしそれで実りを得たかと いうことは、それとは別のことです。アラビアから帰ってきたサウロが、ダマスコから命 からがら逃げる時には、「サウロの弟子たち」がダマスコにいますから(使徒9章 25 節)、 ダマスコでの伝道はそれでも少しは実りを得たのかもしれませんが、おそらくアラビアで は何の実りも得ることができなかったばかりか、そこでの働きのために、追っ手がダマス コまでやって来て、サウロを逮捕しようとした始末ですから、ナバテヤ王から煙たがられ るような働きをしたのに違いありません。こうしてサウロのアラビアでの伝道は、ものの 見事に失敗したという結果に終わったようです。そしてそれが、使徒言行録がアラビア伝 道について沈黙している理由の一つであると考えられます。わざわざ書くほどのことがな かったということです。しかしまさにこの失敗と挫折という経験こそ、サウロが後の大伝 道者パウロへと成長していく上で、最も必要なことだったことになるのです。


 もしダマスコ、そしてアラビアでの伝道が成功し、そこで多くの実りを結んでいたら、 その成功に満足し、それ以上サウロが成長するということはなかったかもしれません。失 敗したからこそ、サウロは変えられ、成長し、多くの実りを結ぶ者へと整えられていった のです。考えてもみてください。主に出会う前のサウロとは、どのような人物だったでし ょうか。自分に対する自信に満ち溢れ、他の誰よりも熱心で熟達していると自負していた 自信家でした。それだけの才能と賜物と資質に溢れていたのは事実ですが、それだけに自 分に対する自信も相当なものだったのではないでしょうか。神を信じ、神と共に生きると 彼は考えていたでしょうが、実際のところ、これだけの資質を持ち、才能に溢れ、賜物に 恵まれたサウロにとっては、神は必要な存在ではなかったかもしれません。自分の力で「自 分の義」を立て、義なる神の前に立ちうると自負していたサウロでしたから、彼を立たせ ていたのは神ではなく、「自分」でした。そのようなサウロが、最初の伝道地で成功してい たら、ますます自分の力に満足し、心驕って、神に頼ることはなかったことでしょう。し かし福音宣教を自分の力で実現する、それはありえないことでした。なぜなら福音は、神 ご自身が生きて働いてくださる中で、人の心に届けられ、そこで実りを結ばせていく、神 ご自身の働きだからです。それを自分の力と才能で実現しようとするとしたら、それはど れほど醜悪な「業」となっていくことでしょうか。今日も、自分の才能に溺れ、自分の力に寄り頼んで、人間的な意味での「成功」を収め、またそれに満足して自信たっぷりの、 自称「福音宣教者」のどれほど多いことでしょうか。


5.失敗と挫折という「恵み」の経験

 しかし幸いなことに、サウロはアラビアで失敗し、挫折しました。しかしまさにそこで の失敗と挫折の経験こそが、サウロ自身を変えていき、その後の彼の働きを変えていくこ とにもなっていくのです。祈祷会で読んでいるテサロニケの手紙は、パウロが 50 歳ぐら いのときに書いたものと考えられます。そこでは、パウロが実にこまやかに一人一人を思 いやりながら、牧会している姿を読み取ることができます。これまで抱いていたパウロ像 がすっかり変わってしまうほど、パウロという人は一人一人を大切にし、心細やかに奉仕 する働き人であることを学んでいます。しかしまさにこのようなパウロとなるために、35 歳頃のこの経験が必要だったのでした。生まれた時から優等生で生え抜きのエリートだっ たサウロには、これまで失敗ということを経験したことがなかったのではないでしょうか。 才能と賜物に溢れたサウロには、挫折を味わったことがなかったと考えられます。おそら くはこれがサウロにとって最初の失敗であり、人生最大の挫折だったと言えるかもしれま せん。サウロは、ダマスコではうまくいきましたから、アラビアでも成功できると確信し て、福音宣教に出ていったことでしょう。ところがそれがものの見事に失敗し、挫折し、 傷ついた思いで、ダマスコに戻ってきます。しかしまさにこの経験が、才能と賜物に溢れ た自信家サウロには必要なことだったのでした。ここでおそらくサウロは、自分の力と賜 物に頼っていく自信を打ち砕かれていったでしょう。そしてそのことこそ、若きサウロに 必要なことだったのでした。自分の知恵と力と才能において自信に満ち溢れたサウロが、 本当に主の器として用いられていくためには、まずその肉の力に頼ることと自分に対する 自信とが徹底的に打ち砕かれることが必要だったのです。そうして自分の力ではなく、主 ご自身の力にこそより頼んでいくことを教えられた時、そこで初めて自分の資質や賜物も 生かされていくようになるのです。賜物と自信に満ち溢れたサウロだからこそ、必要だっ た訓練とは、生まれながらのサウロ、つまり自分に自信をもち、強い自負心をもって自分 に寄り頼んで生きてきた、肉のサウロがとことん打ち砕かれて、ただ神に寄り頼み、ひた すらに神の力によって立っていくように変えられていくということでした。このアラビア 伝道の失敗という経験は、サウロに得がたい経験を与えたのではないでしょうか。そこで 深い挫折を覚え、自分に対する自信を打ち砕かれ、失敗したからこそ、実力に溢れ、自負 心に満ちていた自信家サウロが、後には大伝道者パウロへと変えられていくことになるの です。こうして失敗に終わったサウロのアラビア伝道は、無駄だったのでしょうか。無駄 ではないばかりか、その失敗の経験こそが、後のパウロを生み出していくことになったの でした。


 主イエスはアナニアに、サウロが「わたしの名のためにどんなに苦しまなくてはならな いか」とあらかじめ語っておられました。そしてこの後の生涯で、パウロがどれほどキリ ストのために苦しむかということを見ていくことになります。パウロほどキリストのため に苦しんだ人は、他にいません。他のどの使徒たち、弟子たちよりも、パウロはキリスト のために、そして福音のために苦しみました。しかしまさにその苦しみの経験こそが、教 会の迫害者であったサウロを、キリストの使徒パウロへと造り変え、整えていくことにな るのです。使徒パウロとして、福音のために仕えるようになる、その前にはなお受けるべ き訓練がありました。サウロは、「生まれながらの彼」が変えられないままで、そのまま賜 物や資質が用いられるようになったわけではなく、それらの賜物や資質が本当に主のため に用いられるようになるためには、彼が変えられていく必要があったのでした。そして自 分が果たすべき伝道という働きでの失敗と挫折は、若きサウロにとっては大きな心の痛手 となったでしょうが、まさにその経験が、伝道者パウロを造り上げていくことになるので した。それはサウロがパウロとなるために通らなければならない訓練なのでした。


 わたしたちも同じ所を通らされることがあるかもしれません。わたしたちにも、無駄と 思えることが起こります。思い願う道がなかなか開かれず、遠回りをさせられているよう なこともあります。深い挫折の経験を味わい、失敗に苦しむこともあります。自分の自信 がすっかり打ち砕かれる経験をします。しかしそれは本当に失敗だったのでしょうか。無 駄、無益、無意味なことだったのでしょうか。本当の失敗とは、失敗を失敗のままで終わ らせることであり、本当に無駄・無益であるとは、そのような経験を次に生かそうとしな いことではないでしょうか。そこでの苦しみと失敗が、次の成長をもたらし、そこでの挫 折の経験が、次の祝福を促してものとなります。たとえ次も成功しなかったとしても、そ れが無益で無駄だったということはありません。わたしたちは失敗しますが、神さまに失 敗はないのです。そしてむしろ神さまは、その失敗をも用いることができる方なのです。 「若いときにくびきを負った人は、幸いを得る。くびきを負わされたなら、黙して、独り 座っているがよい」(哀歌3章 27、28 節)。「卑しめられたことはわたしのために良いこと でした。わたしはあなたの掟を学ぶようになりました」(詩編 119 編 71 節)。回心したば かりの自信に満ちたサウロの伝道は、最初は幸先良い出発をしましたが、結局は失敗に終 わり、挫折しました。しかしそれがサウロをパウロへと成長させ、やがて大きな実りを結 ぶ器へと造り変えていくことになります。アラビア伝道の失敗、それはサウロが成長し、 真実に主の器とされていくために必要な訓練でした。それは生まれながらの力と肉の自信 とが打ち砕かれていくという、訓練でした。そしてサウロはその訓練を経たからこそ、神 から与えられた賜物を十二分に生かして、主に用いられる器へと変えられていったのでし た。わたしたちは、どのような訓練を受けていくでしょうか。そしてその訓練の中で、わ たしたちはどのようにそれを受けとめていくのでしょうか。失敗と挫折、それは神からの 「恵み」の訓練なのです。