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第5課 誇る者は主を誇れ

キリストのすばらしさに捕らえられてー使徒パウロの 生涯


第5課:誇る者は主を誇れ(フィリピ3章2~11 節、2011 年1月 30 日)


《今週のメッセージ:何を自分の誇りとしているか(1コリント1章 3 0、3 1 節)》

 サウロは教会を絶滅するために徹底的な迫害をしましたが、その理由は律法に対 する熱心と神への愛だったと証言します。そこでのサウロは「律法の義については 非のうちどころのない者」と語るとおり、何一つ落ち度はなく、義なる神の前にさ え胸を張って立つことができるほど義人ということで、これがサウロの誇りであり 自信でした。そしてこの誇りによってサウロは生きたのであり、彼を立たせていっ たのは、この自分に対する誇りと自信でした。そこでは、律法とは立派な自分を際 立たせる根拠でした。神とは、そのように立派な自分に褒賞を与える、自分の義を 際立たせる引き立て役にすぎませんでした。何に熱心だったかというと、自分でし た。律法に熱心だったのではなく、律法によって立派であることが証明される自分 への熱心でした。そうやって律法に熱心で、神に忠実に生きていると思い込んでい たサウロが、本当に熱心だったのは、自分の義を立てることであり、自分自身に対 して熱心で忠実に生きていたにすぎなかったのでした。あなたは何を誇りとしてい るのでしょうか。自分を立たせるために、何を拠り所としているでしょうか、自分 でしょうか。この世の何かでしょうか。それとも主でしょうか。「誇る者は主を誇れ。」


1.「教会の迫害者」となっていったサウロ

 前回は、サウロがどのように育っていったかを考えていきました。サウロは「生まれて 八日目の割礼を受け、イスラエルの民に属し、ベニヤミン族の出身で、ヘブライ人の中の ヘブライ人」として(フィリピ3章5節)、まさに「生まれながらのファリサイ派」として ファリサイ派の家庭に生まれ(使徒 23 章6節)、父親からイスラエル先祖伝来の伝承と律 法への熱心を骨の髄まで叩き込まれて育てられていきました。そしてイスラエルの伝統と 律法の中心地である聖都エルサレムに送られ、当時最も高名だった律法学者ガマリエルの 許で、「先祖の律法について厳しい教育を受け」、熱心に神に仕えていく少年・青年として 成長していきました(使徒 22 章3節)。そのときの若いころからの生活は、「同胞の間で あれ、またエルサレムの中であれ、最初のころから・・・いちばん厳格な派である、ファ リサイ派の一員として」生活し(使徒 26 章4、5節)、「ユダヤ教徒として・・・先祖か らの伝承を守るのに人一倍熱心で、同胞の間では同じ年ごろの多くの者よりもユダヤ教に 徹しよう」としていったのでした(ガラテヤ1章 13、14 節)。こうしてファリサイ派の律法学者となるべく、最大の努力と熱心を払って信仰に精進していった若きサウロが行き着 いた先が、「教会の迫害者」だということでした。しかし前回は、それは結びつくはずがな い、おかしいことだということを考えました。なぜなら彼がガマリエルの弟子として律法 を熱心に学び、それを身につけていったからでした。他のラビならいざ知らず、他でもな いあのガマリエルの薫陶を受けたのです。ガマリエルとは、処刑の危機にささられた使徒 たちを擁護し、教会への迫害をとどめさせた、あの寛大で寛容な律法学者でした。彼の律 法解釈は、「自分がいやなことは人にもするな、それが律法のすべてで、他はその解釈にすぎない」という、寛容で人道的な理解を根本精神としていたヒルレル派の指導者でした。 そのガマリエルから、いわば人道的に律法を解釈することを学んだはずのサウロが、そこ で学んだ「律法への熱心」によって、「教会の迫害者」になるはずがないということでした。 サウロは、ガマリエルのいわば「不肖の弟子」であり、どうしてそうなってしまったのか、 そのことを考えました。主はサウロを、やがて「異邦人の使徒」として立てられるために、 異教的な文化にさらされて生きるディアスポラの環境にありながら、しかし厳格にイスラ エルの伝統を守る家庭に生まれさせ、律法理解においては、厳格なシャンマイ派ではなく、 寛容なヒルレル派の、しかもその中でも傑出していたガマリエルの許で学ぶように導かれ ました。もしサウロが、そこでの忠実な弟子であったら、もっと違った人生を歩むことに なったのではないかと思いますが、サウロはその逆を進み、神の御心に反する生き方へと 進んでいった、そこにサウロの問題があったのでした。


 ここでは、そのサウロが、どのような「教会の迫害者」となっていったのかを見ていき ます。聖書は、彼がどれほどすさまじい迫害を展開していったかを証言します。サウロが 使徒言行録に登場するのは、ステファノが殉教する場面においてです。ステファノが石を 投げつけられているとき、石を投げつけている人々の着物の番をしながら、彼が死に赴く 様子を冷ややかに見ていました。なぜなら「サウロは、ステファノの殺害に賛成していた」 からでした(使徒7章 58 節)。当然の報いだ、サウロはそう考えたことでしょう。そして その日、エルサレムの教会に対して大迫害が起ると、サウロはそれを押しとどめるどころ か、逆に先頭を切って「家から家へと押し入って教会を荒らし、男女を問わず引き出して 牢に送って」いったのでした(使徒8章1~3節)。それはついこの間、最高法院で使徒た ちを擁護し、彼らに対する厳しい処置に反対した師ガマリエルとは大違いでした。このよ うなサウロの姿を、おそらくガマリエルはにがにがしく見ていたのではないでしょうか。 かつての自分についてパウロ自身こう証言しました。「わたし自身も、あのナザレの人イエ スの名に大いに反対すべきだと考えていました。そして、それをエルサレムで実行に移し、 このわたしが祭司長たちから権限を受けて多くの聖なる者たちを牢に入れ、彼らが死刑に なるときは、賛成の意思表示をしたのです。また至るところの会堂で、しばしば彼らを罰 してイエスを冒瀆するように強制し、彼らに対して激しく怒り狂い、外国の町にまでも迫害の手を伸ばしたのです」(使徒 26 章9~11 節)。その迫害は徹底していて、「徹底的に神 の教会を迫害し、滅ぼそう」としたもので(ガラテヤ1章 13 節)、そこで「わたしはこの 道を迫害し、男女を問わず縛り上げて獄に投じ、殺すことさえした」とさえ証言します(使 徒 22 章4節)。


 その様子は、遠くダマスコにまで及び、アナニアもサウロについて、「主よ、わたしは、 その人がエルサレムで、あなたの聖なる者たちに対してどんな悪事を働いたか、大勢の人 から聞きました」と語ります(使徒9章 13 節)。さらにはパウロ自身、「主よ、わたしが 会堂から会堂へと回って、あなたを信じる者を投獄したり、鞭で打ちたたいたりしていた ことを、この人々は知っています」と、自分が人々から噂されていることを知っていまし た(使徒 22 章 19 節)。またエルサレムから周辺の地域へと散らされていったキリスト者 たちは、後にパウロが回心したことで、「かつて我々を迫害した者が、あの当時滅ぼそうと していた信仰を、今は福音として告げ知らせている」と聞いたと伝えます(ガラテヤ1章 23 節)。こうしてサウロは、「神の教会を迫害した」のであり(1コリント 15 章9節)、「神 を冒瀆する者、暴力を振るう者」でした(1テモテ1章 13 節)。そしてこのサウロの迫害 は、さらにエスカレートしていき、「サウロはなおも主の弟子たちを脅迫し、殺そうと意気 込んで、大祭司のところへ行き、ダマスコの諸会堂あての手紙を求めた。それは、この道 に従う者を見つけ出したら、男女を問わず縛り上げ、エルサレムに連行するためであった」 とあります(使徒9章1、2節)。そのことをアナニアも伝え聞いていて、「ここでも、御 名を呼び求める人をすべて捕えるため、祭司長たちから権限を受けています」と主に訴え ます(使徒9章 14 節)。そしてそのダマスコに向かう途上で、復活の主と出会うことにな りますが、それは次回の問題です。ここでは、サウロがどうしてこれほど激しい迫害へと 赴いていったのか、そのように彼を駆り立てていったものは何かを考えていきたいと思い ます。


2.神と律法に「熱心」だった若きサウロ

 サウロは、神の教会を絶滅するために徹底的な迫害をしたわけですが、その理由は「熱 心さ」にあったと証言します。「かつてユダヤ教徒として・・・先祖からの伝承を守るのに 人一倍熱心で、同胞の間では同じ年ごろの多くの者よりもユダヤ教に徹しようとしていま した」。その文脈で、「わたしは、徹底的に神の教会を迫害し、滅ぼそうとしていました」 と語りました(ガラテヤ1章 13、14 節)。また、「この都で育ち、ガマリエルのもとで先 祖の律法について厳しい教育を受け、今日の皆さんと同じように、熱心に神に仕えていま した」とも語りますが、その文脈で、「わたしはこの道を迫害し、男女を問わず縛り上げて 獄に投じ、殺すことさえした」と証言します(使徒 22 章3、4節)。そして自分の出自に ついて述べた後、「律法に関してはファリサイ派の一員、熱心さの点では教会の迫害者、律法の義については非のうちどころのない者でした」とも語りました(フィリピ3章5、6 節)。サウロが教会を迫害した理由、それは律法への熱心からであり、神への熱心さ、つまり神ヘの愛からだというのがサウロ自身の弁でした。宗教的な熱心さというものが、両刃 の剣となり、ときには狂気にさえなることは、今日の世界の状況を見ても分かります。自 分の信仰熱心とその宗教への忠誠のゆえに、無関係の人をテロで無差別に殺害しても何と も思わないばかりか、むしろそれを崇高な行為とさえ考える人たちがいます。主イエスご 自身、そのことを警告しておられました。「人々はあなたがたを会堂から追放するだろう。 しかも、あなたがたを殺す者が皆、自分は神に奉仕していると考える時が来る」と(ヨハ ネ 16 章2節)。「自分は神に奉仕している」、サウロがまさにそうでした。しかしもちろん これは神の御心にかなうものではなく、むしろ神の御心に反するであり、罪でした。だか らパウロは、後でこのときを振り返ったとき、「わたしは、神の教会を迫害したのですから、 使徒たちの中でいちばん小さな者であり、使徒と呼ばれる値打ちのない者です」と語り(1 コリント 15 章9節)、「以前、わたしは神を冒瀆する者、暴力を振るう者でした。しかし、 信じていないとき知らずに行ったことなので、憐れみを受けました。・・・わたしは、その 罪人の中で最たる者(罪人のかしら)です」と告白します(1テモテ1章 13、15 節)。サ ウロが神への熱心、神への愛のゆえに「教会の迫害者」として生きたことは事実ですが、 しかしそれは神の御心に反する、明白な罪でした。ましてや、神がサウロを、このように 「教会の迫害者」を通らせることで「異邦人の使徒」に仕立て上げようとされたなどと考 えるのはまったくもって間違いです。「自分に決められた道」というのは、そういう意味で はないことは、前回考えたとおりです。神への熱心さゆえに、神に反する生き方をしてし まった、それは悲劇と言うしかありませんが、それがサウロに起きたことでした。彼は律 法への熱心、神への愛のゆえに、神に反し、神に対して重大な罪を犯すに至ったというこ とです。このことは、神への愛に生き、神への熱心に生きようとするわたしたちにとって も深刻な問題です。怠惰ではなく、熱心であることは間違いありません。しかしその熱心 さが、問題となるのです。サウロはどこで間違ってしまったのでしょうか。


3.サウロの「熱心」の正体

 フィリピ3章には、パウロがかつてのサウロ時代における自分のことを語っています。 「わたしは生まれて八日目の割礼を受け、イスラエルの民に属し、ベニヤミン族の出身で、 ヘブライ人の中のヘブライ人です。律法に関してはファリサイ派の一員、熱心さの点では 教会の迫害者、律法の義については非のうちどころのない者でした。」申し分のないサウロ の姿です。ここでも、教会を迫害したのは熱心のゆえだったと証言します。しかしここで 丁寧に見ていきたいことは、その熱心とは、実のところ何に対する熱心であったかという ことです。当時のサウロは、自分が神に対して熱心であり、だから律法に忠実に生きてい ると考えていました。決してそれは自分のためでも、人のためでもない、ただ神のためだと。しかし少なくともフィリピ書の証言を丁寧に読んでいくと、彼はこのような文脈の中 でこのことを語っていることが分かります。「とはいえ、肉にも頼ろうと思えば、わたしは 頼れなくはない。だれかほかに、肉に頼れると思う人がいるなら、わたしはなおさらのこ とです。」つまりパウロはここで自分の自慢話を始めているわけです。わたしたちにはピン ときませんが、当時のユダヤ人にとっては、ここでパウロがあげた自分の出自というもの は、まさに誇りをもって自慢できることでした。当時の自分は、「律法の義については非の うちどころのない者」だったとパウロは語ります。つまり義なる神の前に立っても、胸を 張って立つことができるほど、自分は正しい義人だった、律法に関して自分には何一つ後 ろ指を指されるような欠けや欠陥、落ち度はなかったと言い放つことができたのでした。 ファリサイ派として徹底的に生きたサウロの面目躍如とするところです。それこそがファ リサイ派の誇りだからでした。自分は聖なる神の前にも立つことができる、それほど自分 は完璧で、完全な人間だと誇ることができた、これがかつてのサウロの誇りであり、自信 であり、自慢でした。そしてこの誇りによって、かつてのサウロは生きていたのであり、 彼を立たせていったのは、この自分に対する誇りと自信なのでした。


 このようなファリサイ派の姿を、主イエスは次の譬で言い表されました。ルカ 18 章9 ~14 節にある「ファリサイ派の人と徴税人」の譬です。ここで神殿の真中に立って、神に 対して胸を張りながら自信をもって祈ったファリサイ派の人は、立派の一言に尽きます。 律法に照らして、完全で完璧な義人でした。ところが自分はどうしようもない罪人としか 見ることができない徴税人の方は、神の前に立つことさえできず、片隅の方で隠れるよう にしながら、顔を上げることさえできずに、胸を打ちながら祈りました。彼は確かにどう しようもない罪人でした。しかしそこで神の前に正しく、義であるとされて神に受け入れ られたのは、義人であるファリサイ派ではなくて、罪人である徴税人でした。そして主は こうしめくくられました。「だれでも高ぶる者は低くされ、へりくだる者は高められる」と。 本人は真剣で、自分はそうだと思い込んでいたでしょうが、外から見るとこのファリサイ 派の姿は滑稽で、愚かとしか言いようがありません。自分を知らないというか、自分が見 えていないのです。そして自分は立派だと胸をそびやかして自信に満ちて生きていた。ま さにこのファリサイ派の姿こそ、かつてのサウルでした。「律法の義については非のうちど ころのない者」と自分を顧みることができるほど、かつてのサウロは自分に自信を持つこ とができました。「先祖からの伝承を守るのに人一倍熱心で、同胞の間では同じ年ごろの多 くの者よりもユダヤ教に徹し」ていたと、自分を誇ることができたし、事実そのころは鼻 高々に自分を誇って生きていたことでしょう。自分ほど立派で素晴らしい完全な人間はいない、神の前にさえ立ちうるほど自分は完璧な義人だと、そのころのサウロは自分につい て考えていたことでしょう。それが「律法から生じる自分の義」でした(フィリピ3章9 節)。そこでは律法とは、立派な自分を際立たせる根拠であり、それを証拠立てる保証にすぎませんでした。そして神とは、そのように立派な自分を賞賛し、褒賞を与えるべき存在 であり、つまりは自分の義を際立たせる引き立て役にすぎませんでした。サウロ自身は気 づいていませんでしたが、実は何に熱心だったかというと、律法ではなく自分でした。律 法に熱心だったのではなく、律法によって立派であることが証明される自分への熱心でし た。神を愛したのではなく、神が義人である自分を愛するべきなのであって、それは神ヘ の愛ではなく、自分への愛にすぎませんでした。そうやって自分を誇り、自分に自信を抱 いて生きていた、そこで律法とは立派な自分を際立たせる証拠であり、神はそういった立 派な自分を愛して祝福するべき、引き立て役でした。律法に熱心で、神に忠実に生きてい ると思い込んでいたサウロは、実は自分に熱心で、自分自身に忠実に生きていたにすぎな かったのでした。何に熱心だったか、自分の義を立てることについてでした。だからそれ を保証する律法を攻撃する者は、自分を攻撃する者であり、だから徹底した迫害の対象と していったのです。サウロが「教会の迫害者」となったのは、本当のところ律法への熱心 でも、神への愛からでもなくて、自分への熱心であり、自分自身に対する愛に基づくもの だったのでした。しかしこうして自分を誇り、高ぶって生きるサウロを、主は打ち砕かれ ていかれることになります。それがダマスコ途上での出来事なのでした。


4.誇る者は主を誇れ

 自分を誇りとし、自分自身に高ぶって生きていたサウロは、わたしたちにとって赤の他 人でしょうか。わたしたちも熱心に生きています。何も信仰や奉仕とは限りません。仕事 に熱心な人もいれば、子育てに熱心な人もいます。家族への配慮に一生懸命な人もいれば、 社会的な役割や働きに勤しんでいる人もいます。もちろん熱心でなくて良いなどと言うの ではありません。また一生懸命に取り組むことが間違っているなどと言うわけでもありま せん。ただそこで、自分が本当は何に熱心に取り組んでいるのかをよく見極め、吟味する 必要があるのではないかと問うているのです。仕事であれ、奉仕であれ、ぜひとも熱心に 取り組んでいただきたい。しかしそれはどのような動機に基づくものなのかを、一度立ち 止まってよく省みる必要があるのではないかということです。わたしたちも様々なことに 熱心に取り組んでいますし、一生懸命に励んでもいます。しかしそれがどこかで間違うこ とがあるかもしれません。こんなに一生懸命にやってあげているのに「ありがとう」の一 言もないということで、わたしたちは疲れてしまうのです。あれだけ熱心にしてあげたの に、何の見返りもないということで、嫌になってしまうのです。しかしそこで考えなけれ ばなりません。自分は一体そこで何に対して熱心であったのかと。本当に相手のために尽 くしてきたのか、それとも実のところ自分のためではなかったのかと。


 立派で義人だったサウロにとっては、律法が誇りでした。いや正確に言うなら、その律 法をきちんと守りきれる自分自身が誇りでした。その誇りが傷つけられ、その誇りをけなす人がいた、だから彼らを抹殺しようとしたのです。律法を否定することは、その律法に よって自分を立たせて生きている、その自分自身を否定されることだったからでした。サ ウロにとって律法とは、立派な自分を立たせていく拠り所でした。わたしたちにも、自分 を立たせている拠り所があります。それが自分の自信の源となり、自分を成り立たせてい く拠点となります。それは理想的な家族かもしれません。立派で上品な自分を演出してい く優雅な生活様式、自慢の子供、誇りとする仕事、自分を立たせていく地位や名誉、称号 や名声、学歴や出身といったものかもしれません。わたしたちにはそれぞれに自分の誇り とするものがありますし、誇りを持つことが間違いだとか、おかしいということではあり ません。誇りのない人は人間としての尊厳を欠いていきます。誇りは、わたしたちを健全 な意味で立たせていくものでもあります。しかし問題は、何を誇りとしているかなのです。 あなたにとって自分の誇りとするものは何でしょうか。それによって自分を立たせている、 その誇りとは何でしょうか。子供が自慢であれば、その子が思い通りに育たなければ、誇 りは費え去ります。地位や仕事をよりどころとしていたら、それが失われたら、自分ヘの 自信もなくなります。何かの能力によって立っているとしたら、それが失われたら、立っ ていくことができなくなります。あなたは何を誇りとし、自分を立たせていく拠り所とし ているでしょうか。それは確かなものなのでしょうか。たとえどんなに惨めな状況に見舞 われたとしても、そこで自分をしっかり立たせていく、確かなものを誇りとしているので しょうか。サウロの内に起こされたこと、それは、自分に自信を持ち、誇りと自慢で膨れ 上がっていたサウロが徹底的に打ち砕かれたということでした。しかしその出来事につい ては次回考えます。ここではそのサウロを突き動かしていたものの正体を考えました。サ ウロの熱心とは何であったかを考えました。わたしたちは何に熱心なのでしょうか。そし て何を誇りとしているのでしょうか。何によって自分を立たせているのでしょうか。何が 自分の拠り所なのでしょうか。それがうまく行かず、失われてしまったら、何によって自 分を立たせることができるのでしょうか。主によって自分自身を打ち砕かれ、誇りと自信 を打ち砕かれた後のパウロは、こう言いました。「誇る者は主を誇れ」と(2コリント 10 章 17 節、1コリント1章 31 節、〔ガラテヤ6章 14 節〕、エレミヤ9章 22、23 節)。あな たは何を誇りとしているのでしょうか。自分でしょうか。この世の何かでしょうか。それ とも主でしょうか。「誇る者は主を誇れ。」