5月17日(ルカ6章21節、25節)

〔今週の御言葉-私訳と黙想 ルカ6章21、25節 満ち足りることを知る幸い〕

 今、飢えている〔空腹の〕人々は幸せだ。

あなたがたは満ち足り〔満腹す〕るようになるからだ。

今、泣いている人々は幸せだ。あなたがたは笑うようになるからだ。・・・

 あなたたち、今満ち足り(満腹し)ている者たちは不幸〔災い〕だ。

あなたがたは飢えるように〔空腹に〕なるからだ。

今、笑っている者たちは不幸〔災い〕だ。あなたがたは嘆き、泣くようになるからだ。

〔 〕は別の訳の可能性

 

 それぞれに自分の抱えている様々な問題の解決を求めて集まった群衆に向かって、主イエスは「飢えている人々は幸せだ。泣いている人々は幸せだ」と語られました。飢えることと泣くことは、そもそも貧しいことと深い関係があります。貧しいから飢えるのであり、貧しいから悲しいのです。彼らは貧困にあえぎ苦しむばかりか、それに伴う様々な問題にも押しひしがれながら苦しみ悩みつつ生きている人々でした。主がそんな彼らこそ幸せだと言われたのはなぜでしょうか。しかしもはや飢えてはいないわたしたちは、それでは満ち足りることを知っているでしょうか。生活の必要のあらゆるものが十分に備えられ、様々な物に取り囲まれて生きているわたしたちですが、だから満足して生きているでしょうか。飢えも渇きも知らないわたしたちが、それでも満ち足りることを知らないことの背後に、貪欲があります。わたしたちの貪欲は、あればあるほどもっと欲しがり、何もかも手に入れようと、そのことにやっきにさせていきます。物で満ち足りれば足りるほど、わたしたちは貪欲になり、満足できなくなっていきます。あれも欲しい、これも手に入れたいと必死になる貪欲から解放されて、それらのすべての与え主である神へと心を向けていくとき、わたしたちは初めて平安を得るようになり、真の満足を知るようになります。富を築く力を与えてくださる神へと立ち帰っていきましょう。それこそが真の満足の道なのですから。