第13講 慰め主なる聖霊への信仰

わたしは信じる-『使徒信条』によるキリスト教信仰の学び

 第13講 慰め主なる聖霊への信仰(問53)


問53 「聖霊」について、あなたは何を信じていますか。


 第一に、この方は御父と御子と同様に永遠の神であられる、ということ。第二に、

この方はわたしに与えられたお方でもあり、まことの信仰によって、キリストとその

すべての恵みにわたしをあずからせ、わたしを慰め、永遠にわたしと共にいてくださ

る、ということです。


1.わたしたちと永遠に共にいてくださる慰め主なる聖霊

 聖霊なる神について信仰問答では、主に二点に絞って、聖霊がどのような方であるか

ということと、その方のわたしたちに対する働きについて告白されていきます。聖霊は

第一に、「御父や御子と同様に永遠の神であられる」ことです。神からの何らかの感

化とか影響力といったものではなく、御父・御子と区別された方でありつつも、「永遠

の神」ご自身であられるということです。被造物や人間の霊ではなく、神の霊であり、

得体の知れない霊ではなく、わたしのために働いてくださる方です。しかもその「永遠

の神」である聖霊は、わたしたち一人一人に与えられたお方でもありました。


 主イエスは、わたしたちに次のように約束してくださいました。「わたしは父にお願

いしよう。父は別の弁護者を遣わして、永遠にあなたがたと一緒にいるようにしてくだ

さる。この方は、真理の霊である。あなたがたはこの霊を知っている。この霊があなた

がたと共におり、これからも、あなたがたの内にいるからである」(ヨハネ14章16、17

節)と。主イエスが遣わしてくださる「別の助け主」、それは聖霊なる神です。この「助

け主」とは、呼ばれたら側に来てくれる者、とても困っている人を助けに来る有力な助

け手の一人、弁護人といった意味です。しかも側にいてくれることが自分にとって大き

な励ましとなり、慰めとなる、そのような助け手として、側にいて「慰める者」「励ま

す者」なのです。だから聖霊は、「慰め主」と呼ばれるのです。「弁護者」「慰め主」

とは、傍らにいつも共に立っていてくださる方という意味で、いかなる場合にも、わた

しの側に立ち、味方し、共にいてくださり、そのようにしてわたしを強めてくださる方

なのです。その方が「わたしと共に永遠にいてくださる」(14章16、17節)、それが「慰

め」なのです。もはやひとりぼっちではない、孤独ではない、弁護したり、守る者がい

ないのではない、永遠に共にいて、傍らに立ちつづけ、弁護し、守り、励ましつつ、キ

リスト御自身が内に住んで共にいてくださる、それが聖霊なのです。こうして「わたし

はあなたがたをみなし児にはしておかない」(14章18節)との主の約束は成就したので

す。わたしたちは、この聖霊の神殿(1コリント6章19節)です。わたしたちの内に住

み、心を聖めて神に向け、信仰を強め、愛を増し加え、賜物を与え(同12章12節以

下)、品性を向上させ、御霊の実を結ばせる働き(ガラテヤ5章22節以下)を、わたし

たちの内にあって果たしてくださいます。その御霊の第一の実は「愛」です。わたした

ちは、聖霊がわたしたちに与え、わたしたちの内で結ばせてくださる「実」としての

「愛」によって、主の業を果たしていくのです。ですから「御霊を悲しませてはなりま

せん」(エフェソ4章30節)。


2.真理の霊

 こうして、「キリストとそのすべての恵みにわたしをあずからせ、わたしを慰め、

永遠にわたしと共にいてくださる」聖霊は、具体的には、「真理」を悟らせ、「再

生」し、「聖化」してくださることで、わたしたちの内に臨在してくださる方でした。

この三点について考えていきましょう。助け主としての聖霊は、聖書をわたしたちに理

解させ、悟らせ、真理へと導いてくださいます。聖書の言葉をわたしたちに分からせ、

そこに約束された神の恵みを、わたしたちのものとしてくださいます。聖霊の働きなく

して、聖書が分かるということはありません。しかし聖霊がわたしたちの心の内に働か

れるとき、聖書は人を活かす言葉として働き、わたしたちに真実の慰めと、励ましとを

与えるのです。聖霊は聖書によって、わたしたちをキリストへと導き、キリストを信じ

させ、キリストにある恵みの全てにあずからせ、またわたしたちを罪から清め、聖なる

神へと近づかせてくださるのです。「弁護者、すなわち父がわたしの名によってお遣わ

しになる聖霊が、あなたがたにすべての事を教え、わたしが話したことをことごとく思

い起こさせてくださる」(ヨハネ14章26節)。「その方、すなわち真理の霊がくると、

あなたがたを導いて真理をことごとく悟らせる」(16章13節)。


 「真理の霊」なる聖霊は、わたしたちに神の真理を啓示されるために働いてこられまし

た。人間の歴史の中に介在し、それを導いてこられた聖霊は、とりわけ堕落した人間

が、神を知り、救いに至る信仰を持つために、歴史を通じて神の救いの御業を果たすと

共に、それによって特別啓示を現わしてこられたのでした。聖霊によって書かれた聖書

は、著者である聖霊ご自身が、その内容を明らかにされることによって、初めて正しく

理解することができるのです。ですからわたしたちは、神が「知恵と啓示との霊を与

え、神を深く知ることができるようにし、心の目を開いてくださるように」(エフェソ

1章17、18)祈り求める必要があるのです。わたしたちは「”霊”によるあらゆる知恵

と理解によって、神の御心を十分悟り、神をますます深く知るように」(コロサイ1章

9、10節)、聖霊が必要なのです。「神の霊以外に神のことを知る者はいません。わた

したちがこれについて語るのも、人の知恵に教えられた言葉によるのではなく、”霊”

に教えられた言葉によっています。つまり霊的なものによって霊的なことを説明するの

です。自然の人は神の霊に属する事柄を受け入れません」(1コリント2章10~14

節)。


3.再生(新しい生まれ変わり)の霊

 「人は新しく生まれなければ、神の国を見ることはできない」(ヨハネ3章3節)と

あるように、わたしたち人間は、生れながらには霊的に死んだ状態にあり、新しく生ま

れ(再生され)なければ、霊的な善を行うことも、神を信じることも、永遠の生命を受

けることもできません。霊的に「死んでいる」ため、新しく生まれるためには、全く神

の側からの働きかけが必要であるということです。主は「霊によって生まれる」と言わ

れました。霊的に死んでいるわたしたちは、神によってもう一度「再創造」される必要

があるのです。霊的に死んだ人間を「生きた者」として生き返らせるのは聖霊の働きで

す。この「再生」は、聖霊がわたしたちの心の内側で起こしてくださる恵みの業で、漸

進的に長い時間をかけてというのではなく瞬間的なものであり、わたしたちの人格の中

心である心に働きかけるものです。単に新しい力を与えるのではなく、わたしたちの肉

の性質を造り変えて、全く新しくしてしまう業です。全人格に及ぶ、心の傾向と生活原

理に根本的な変化を与える聖霊の行為で、それによって死から生命へと移されるので

す。再生は、具体的には神の召命に応答し、罪を自覚し、悔い改め、キリストへの信仰

告白に至ることによって表わされます。宣教された福音に応答するように心を開き、そ

れに応答するように説得するのは、聖霊の働きです。自分の罪と悲惨とを認識できるの

も、その罪を認めて悔い改めるようになるのも、さらにはその罪からの救いを切望し

て、キリストを見上げ、キリストを受け入れて信じるに至るのも、全ては聖霊の内なる

働きによってなのです。聖霊なくしては、わたしたちを罪からの救いに至らせる「まこ

との信仰」に至ることはなく、「イエスは主」との告白に至らせるのは、まったくもっ

て聖霊の働きです(1コリント12章3節)。人間の信仰が、再生をもたらすのではな

く、逆に再生された結果、信仰が現われるのです。こうして人間の救いは、全く神の一

方的な恵みの働きかけによってもたらされるのです。こうしてキリストを死者の中から

よみがえらせた生命の御霊は、罪に死んでしまったわたしたちをも生き返らせ、新しい

生命を与えて、よみがえらせてくださいました。「イエスを死者の中から復活させた方

の霊が、あなたがたの内に宿っているなら、キリストを死者の中から復活させた方は、

あなたがたの内に宿っているその霊によって、あなたがたの死ぬはずの体をも生かして

くださる」のです(ローマ8章11節)

4.聖化の霊

 a.キリストの似姿、キリストの身丈に達し、キリストの像が形造られる

 キリストの新しい生命に生きる者とされたわたしたちの歩むべき目標とは、「キリス

トに似た者となる」(ローマ8章29節、2コリント3章18節、1ヨハネ3章2節)、ま

た「キリストの背丈(身丈)にまで成長する」(エフェソ4章13節)ことです。わたし

たちの信仰の成長の目標はキリストご自身であり、そのキリストへと至らせるために、

聖霊が与えられたのでした。わたしたちも、キリストと同じように歩むことで、「キリ

ストに似た者」とされていくのです。このように、わたしたちをキリストへと結びつ

け、キリストとの生ける交わりに入れてくださる聖霊は、キリストと同じ歩みへとわた

したちを導き、キリストの似姿へとわたしたちを整えてくださるのです。さらに聖霊

は、わたしたちの心の内に共に住んで、ご自身の聖い感化と影響をわたしたちに及ぼし

てくださいます。聖い御霊の内住によって、罪にまみれて堕落しきったわたしたちの心

は新しく生まれ変わらせられ(テトス3章5~7節)、清められていき(2テサロニケ

2章13節)、全く神の戒めと御心に従うことに無能力だったわたしたちの心を、新しく

造り変えて、神に心から従う心へと変えてくださるのです(エゼキエル36章25~27

節)。それだけではなく、キリストと結びつけることで、キリストご自身の感化と影響

をもわたしたちに及ぶようにしてくださるのです。ですから聖霊は「キリストの霊」と

して、聖霊の内住は「キリストの内住」と同一視され、聖霊が内にいますことで、「キ

リストがわたしの内におられる」と告白せしめるのです。主との生ける交わりと聖なる

方ご自身との交わりによって、わたしたちは深い霊的感化と影響を受けることになりま

す。聖霊は、キリストご自身の霊的感化と影響をわたしたちの心に内にもたらして、キ

リストの義と聖と徳にあずからせ、キリストの像がわたしたちの内に形造られるように

してくださいます。こうして聖化の目標である、わたしたちの内にキリストの像が形造

られることがなされていくのです。わたしたちが「聖徒」と言われ、「聖化」されると

いうとき、この「聖」とはわたしたち自身の聖ではなく、「キリストの聖」であり「聖

霊の聖」なのです。聖い霊は、ご自身の「聖さ」にわたしたちをあずからせ、キリスト

を罪の腐敗から守り、聖め続けた同じ働きを、わたしたちの内にあってなしてくださる

のでした。


 b.栄光から栄光へと、キリストの栄光にあずからせてくださる

 そうして栄光から栄光へと、主と同じ姿に変えられていくことこそが、聖化の目標で

す。「わたしたちは皆、顔の覆いを除かれて、鏡のように主の栄光を映し出しながら、

栄光から栄光へと、主と同じ姿に造りかえられていきます。これは主の霊の働きによる

ことです」(2コリント3章18節、ローマ8章17節)。もとよりこの営みは、地上に

あっては完成いたしません。時には、罪に敗北するときすらあるでしょう。しかしわた

したちの内に起こされた神の救いの働きは、確実に果たされて、遂には永遠の生命に至

るように、主の栄光の姿に似た者となるように、日毎に聖霊はわたしたちの内にあっ

て、働きつづけ、完成に至らせてくださるのです(フィリピ2章13節)。わたしたち

は、この聖霊の御業に包み込まれて、その信仰を支えられ、守られ、強められながら、

完成へと目指して歩みつづけているのです。わたしたちの内に罪に対する悲しみがある

こと自体、聖霊の働きが継続していることの証拠です。こうして聖霊は、「真理」と

「再生」と「聖化」の業を、わたしたちにしてくださる方です。それによって聖霊はわ

たしたちに、「今から後この方のために生きることを心から喜んで、またそれにふさ

わしくなるように、整えてもくださる」のでした(問1)。