序 『使徒信条』によるキリスト教信仰の学びへの招き

わたしは信じる-『使徒信条』によるキリスト教信仰の学び

 序 『使徒信条』によるキリスト教信仰の学びへの招き

 

1.「使徒信条」とは何か

 『ハイデルベルク信仰問答』では、「キリスト者が信じるべきこととは何ですか

と問うて、それは「福音においてわたしたちに約束されていることすべて」であり、

わたしたちの公同の疑いなきキリスト教信仰箇条が、それを要約して教えていま

」と答えます(問22)。そしてそれが、「使徒信条」であることを明らかにします

(問23)。稲毛海岸教会では、主日礼拝の中で、「使徒信条」を告白しています。この

「使徒信条」は、十二使徒に由来するとの伝承からその名が付けられたものですが、そ

れは歴史的には正しくありません。しかしその内容は明らかに「使徒的」であり、使徒

の教えを継承していますので、わたしたちはこの信条を「使徒信条」として受け入れて

いるのです。この信条が今日の形になったのは八世紀ですが、その内容は護教家テルト

リアヌスがまとめたもの(230年)にまでさかのぼることができます。400年頃書かれた

アクレイアのルフィヌスの『使徒信条の講解』や、340年頃アンカラの監督マルケルス

の記した信条になると、今日の「使徒信条」とほとんど変わりません。しかし、これら

は実は100年頃ローマ教会で使用されていた洗礼式文に酷似しているところから、「使

徒信条」はこの洗礼告白として用いられていた「古ローマ信条」に由来すると考えられ

ています。いずれにしても、教会はこの信条が「使徒の純粋なおしえから引き出された

真の信仰の概要」であるとして、告白しつづけてきたものでした。そしてこの信条を

もって、キリストにある全ての教会は、「信仰の一致」を表わしてきたのです。これを

告白することにおいてわたしたちは世々の聖徒と共に、時代を貫き、教派や国、民族、

文化を越えた、ただ一人の主への「一つの信仰」にあずかることになるのです。

 

 「口でイエスは主であると公に言い表し、心で神がイエスを死者の中から復活させら

れたと信じるなら、あなたは救われるからです。実に、人は心で信じて義とされ、口で

公に言い表して救われるのです」(ローマ10章9、10節)とパウロは語りました。ここ

で「告白」と訳されている言葉(ホモロゲオー)とは、「同じことを言う」という意味

です。同じ言葉を口にする。そこで告げられている事柄に、これこそ真理だと言って同

意し、自分も同じことを口にするということです。こうして同じ信仰の言葉を告白する

者たちが集められたのが教会で、教会とは、「信仰告白共同体」です。ですから、教会

に入ろうとする人に、言葉をもって、教会の信仰、つまり教会員が皆等しく言い表して

きた同じ信仰に対して、同じ言葉をもって言い表すことが求められるのです。そしてこ

の言葉を簡潔に要約したものが「信条」(信仰箇条)と呼ばれるもので、それを受け入

れて、自分の言葉として告白することが信仰なのです。そこでは自分がどれだけ熱心か

ということ以上に、そこで自分が何を信じているかということこそが大切です。そして

この教会の信仰告白に参与していく中で、その一員に迎え入れられるのです。ここで

は、この「使徒信条」を、『ハイデルベルク信仰問答』を手引きとして、学んでいきま

す。あなたも、この学びによって、イエス・キリストへの信仰に招き入れられ、教会の

一員となっていかれることをお勧めいたします。