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第4講 神を父と呼ぶ信頼の言葉

「わたしたちは何を信じるのか」

-信仰の基礎を見つめる二年間(ニカイア信条に学ぶ)

 

第4講:神を『わたしの父』と呼ぶ信頼の言葉(イザヤ63章7~16節、1月22日)

 

【今週のキーワード:背負う神】

 旧約聖書が語る「父なる神」は、自分を捨て、自分から離れたイスラエルを、それでも

見捨てることができずに憐れみ、顧みてくださる神です。「彼らの苦難を常に御自分の苦

難とし、御前に仕える御使いによって彼らを救い、愛と憐れみをもって彼らを贖い、昔か

ら常に、彼らを負い、彼らを担ってくださった」。「背負う神」、それがここで神が

「父」であられるということでした。そこで背負うのは、苦難にうちひしがれたイスラエ

ル、苦しみに打ちのめされて立ち上がることができないイスラエルでした。しかもその苦

難は、自ら招いた結果であり、自分が撒いたものを刈り取っているのです。自分が犯した

罪によって招いた結果を、自分で刈り取って苦しんでいるのです。それにもかかわらず、

神はそうやって自分の罪と自分の愚かさの結果、苦しんで倒れ伏しているイスラエルを見

捨てることができず、彼らの苦難をご自分の苦難として引き受け、彼らと共に苦しみ、彼

らと共に悩みながら、立ち上がれなくなっていたイスラエルを背負い続けたのでした。こ

のように「背負う神」、それが「父なる神」でした。その神が約束してくださるのです。

「あなたたちは生まれた時から負われ、胎を出た時から担われてきた。同じように、わた

しはあなたたちの老いる日まで、白髪になるまで、背負って行こう。わたしはあなたたち

を造った。わたしが担い、背負い、救い出す」と。これがわたしたちの「父なる神」な

のです。

 

1.自分の父親像と「父なる神」

 ずいぶん前のことになりますが、何気ない会話の中で、ある方がこんなことを言ってい

ました。キリスト教では神を「父なる神」と言うが、自分は「父なる神」に親しみが持

てないし、疎遠というか隔たりを覚えてしまうと。なぜかというと、その方のお父様は大

変厳しい方で、気安く近づくことなどできない厳格な方だったからだというのです。昔は

言葉よりも拳骨が先に飛んでくる父親がいたものでしたし、かつては「地震・雷・火事・

親父」と、恐いもののランクに「父」が位置づけられてもいました。そういう父親に育て

られた人にとっては、「父なる神」というのはあまり良いイメージを持つことはできない

かもしれません。最近、父親は嫌いだと言う青年と知り合いました。父親からはいつも

叱られてばかりで、勉強のできる兄弟をえこひいきしていたからと言うのです。わたし自

身はどうかと言うと、優しい父でした。声を荒げるということはありませんでしたし、ま

して手をあげることなど一度もありませんでした。小さい時から、一人の人間として扱わ

れ、大切に育てられたと思います。当然自分にとって「父なる神」は、そういう父親像と

重なります。このようにそれぞれに自分の父親がいて、その父親がどのような人であった

かということが、「父なる神」を覚える上で大きな要素になることも事実かもしれませ

ん。逆に早いうちに父親をなくした方にとっては、父親の影が薄く、「父なる神」と言わ

れてもピンとこないという面があるかもしれません。皆さんは「父なる神」ということ

で、どのようなイメージを抱いておられるでしょうか。「父なる神」を信じるとはどうい

うことなのでしょうか。ここでの主題は、この「父なる神」を信じるとは、どういうこ

とかということについてです。ニカイア信条の訳文では、「わたしたちは、唯一の神、全

能の父~を信じます」としていますが、日本ハリストス正教会では、「我信ず、一つの

神・父・全能者、天と地、見ゆると見えざる万物を造りし主を」となっていて、直訳とし

てはこちらの方が正しいです。語順からいえば「父」が先に来て、その後に「全能」が続

きます。しかし「全能の父」と訳したのは、内容的にはこの二つを切り離すことができな

いものだからです1。しかしここでは、まず「父」について考えていきましょう。


 最初に覚えていただきたいことは、そうしたそれぞれが体験した自分の父親に対する記

憶はひとまず脇においていただきたいということです。そうしたそれぞれの父親像で「父

なる神」を考えてはいけません。それでは前回の「金の子牛」と同じように、神を自分の

イメージで考えてしまうことになるからです。気まぐれで自分勝手な父親に育てられた人

は、神も同じように考えてしまうでしょう。家の中で暴君のように振舞っていた父親に育

てられた人は、「父なる神」を独裁者のように考えてしまうかもしれません。しかしそれ

は順序が逆で、人間の父親から「父なる神」を類比するのではなくて、「父なる神」から

人間の父親の本来のあり方を考えるべきです。なぜなら「本来の父性は、神の御許にある

のであって、この神の父性から初めて我々が我々人間の間で父性として知っているもの

が、導き出される」ものだからです。「神的な父性は、すべての自然的な父性の源」であ

り、「天と地のすべての父性は、彼から生じる」ものだからです2。「天上にあり地上に

あって『父』と呼ばれているあらゆるものの源である神」とあるように(エフェソ3章15

節、口語訳)、神こそが「被造物すべての父性の無比の原型」です3 。なぜなら「神が父

であるのは、神がわれわれの父であるからということだけでなく、またわれわれの父と

して初めて父でありたもうというのではなく、実は既に神御自身において、永遠の父であ

り給うのであり、そしてそのためにこそ、われわれの父であり給う」からです4。「神は

永遠の父であり、神御自身においてそうなの」です5。ですからここで神が「父」と呼ば

れる時、そこで考えられていることは何かに思いを向ける必要があります。自分が抱いて

いる父親像は脇において、「父なる神」ということで聖書はどのように教えているかを見

ていただきたいのです。

 

2.イエス・キリストの「父なる神」

 そこでこの「父なる神」ということで、どの解説書や説教も、必ず触れることは、この

「父」とは、まず第一義的には「イエス・キリストの父」であるということです。まさに

この点を明らかにするために、このニカイア信条が作成されたといってもよいでしょう。

ここで扱っている「ニカイア・コンスタンティノポリス信条」の前に、325年に開催され

たニカイア公会議で制定された信条がありました。ここで扱っている信条と区別するため

に「原ニカイア信条」と通称されますが、正式には「ニカイアにおける318人の信条」で

す。それに対して、ここでニカイア信条と呼んでいるものは正式には「コンスタンティノ

ポリスにおける150人の信条」で、381年に開催されたコンスタンティノポリス公会議に

おいて作成されたのではないかと伝統的には考えられてきたものでした(今日でもそれを

否定する意見と擁護する意見が対立し、結論はでていません)。いずれにしても、ニカイ

ア公会議で「原ニカイア信条」が作成された背景には、当時の教会を二分した「アリウス

論争」というものがありました。アレクサンドリアの司祭だったアリウスが御子の神性

を否定して、主教アレクサンデルと対立することから起きた論争でした。この論争はアレ

クサンドリアだけではなく、ローマ帝国全体を巻き込んでいったため、その解決を諮るた

めに皇帝コンスタンティヌスによって召集されたのがニカイア公会議でした。そしてそこ

でアリウスは異端として断罪されることで、御子を父なる神に従属する「第二の神」、被

造物とする見解を退け、そのことを明確にするために「原ニカイア信条」が制定されたわ

けですが、これで論争は収まるどころか、かえって複雑になり、さらに混迷を深めること

になります。アレクサンデルの後を引き継いだアタナシウスを中心とするニカイア派と、

アリウスを支持する立場、それにその中間を行く様々な立場が論争を繰り返し、そこに

政治的な介入も入っていっそう複雑になっていきます。そこでそれらの論争の解決を諮っ

て開催されたのが、381年のコンスタンティノポリス公会議でした。そしてそれらの論争

の中で、御子の神性が明確にされただけではなくて、聖霊の神性も明確にされたことで、

「三位一体」論が確立することになります。このようにニカイア信条とは、まさに御父と

御子の関係がどのようなものかを明確にするために作成されたものであり、「父なる神へ

の呼びかけは、父・子、聖霊なる三位一体の神への信仰が前提とされています。ニカイア

信条全体、父と子と聖霊なる神への信仰が告白されている」のです6。


 ですから、いずれにしても「父なる神」と言うとき、それはわたしたちにとっての

「父」である前に、神の御子、それも独り子である「イエス・キリストの父」であるとい

うことです。そしてこの御子イエスにつながるゆえに、わたしたちもこの方を「父」とお

呼びすることができるのです。『ハイデルベルク教理問答』では、「わたしたちの主イエ

ス・キリストの永遠の御父が、御子キリストのゆえに、わたしの神またわたしの父であら

れるということです」と語ります(問26)。そしてそこで覚えていただきたいことは、

御子であられるイエス・キリストは、「父なる神」について、どのように教えておられる

かということです。主イエスが教えてくださる「父なる神」、それが正しい「父なる神」

像です。主イエスは「父なる神」について様々に教えられましたが、その中で一番有名な

のは、ルカ15章にある「放蕩息子」の譬でしょう。自分の財産をすべて与えたにもかか

わらず、家出して放蕩三昧し、その財産を浪費し尽くした挙句、放浪者に落ちぶれ果て家

に戻ってきた息子を、迎え入れる父親です。この「放蕩息子」という題は正しくないと以

前お話しました。なぜならここでの主人公は、この放蕩息子ではなく、むしろ息子を迎

え入れる父親だからです。この譬の一つの頂点は20節にあります。「そして、彼はそこを

たち、父親のもとに行った。ところが、まだ遠く離れていたのに、父親は息子を見つけ

て、憐れに思い、走り寄って首を抱き、接吻した」。たしかに息子の方から父親の許に

戻ってきました。しかし先に相手を見つけたのは息子ではなく、父親でした。そして父親

の方から、このろくでなしの息子に駆け寄り、首を抱き、息子として迎え入れたのです。

息子が改心して父親の許に戻ろうとする以前から、すでに父親の方は息子を許していまし

た。そしてその帰りを待ち続けてきたのです。だから戻ってきたとき無条件で息子を受け

入れました。この譬は、「放蕩息子」ではなく「放蕩息子の帰りを待ち続ける父親」の

譬です。そして主イエスが教えてくださった「父なる神」とは、このような「父」だった

のでした。わたしたちは、ここから「父なる神」を信じるということを学んでいく必要が

あるのです。

 

3.イスラエルの「父なる神」

 しかしここでは、さらにさかのぼって、旧約聖書において「父なる神」はどのように信

じられてきたかを考えたいと思います。「すでに紀元前三千ないし二千年に、古代オリエ

ントで神が父と呼ばれており、モーセや預言者の時代よりも遥か以前のスメル人たちの祈

りの中で、神に父と呼びかけていたと言われます。それも『父』という呼称は王や国民の

先祖として、また権力ある主君として『父』であるというだけでなく、『国全体の生命を

その手の中におさめる、憐れみ深く恵み深い父』とみなされていたと言います。ですか

ら、神に対して用いられた『父』という呼称は、オリエントにおいては、古くから、

『母』にあたる意味合いを含んでいたということです。・・・エレミアスは『神はイスラ

エルの父なのだが、今や神話論的には祖先としてではなく、歴史における力強い業によっ

てイスラエルを解放し、救い、選んだ方として』父であると指摘します」7。イザヤ書に

は「あなたはわたしたちの父です。アブラハムがわたしたちを見知らず、イスラエルがわ

たしたちを認めなくても、主よ、あなたはわたしたちの父です。『わたしたちの贖い主』

これは永遠の昔からあなたの御名です」とあります(63章16節)。ここではイスラエル

の神が「わたしたちの父」と呼ばれています。旧約聖書で神を「父」と呼ぶ箇所はあまり

多くありません。イスラエルにとって、神を「父」とすることは恐れ多いことだったから

でした。「父」ということで考えられていることは、イスラエルを生み出した方というこ

とです。しかしここでは、それ以上のことが語られています。この前後を読むと、イスラ

エルと「父なる神」との関係は微妙なものであることが分かります。「どうか、天から見

下ろし、輝かしく聖なる宮から御覧ください。どこにあるのですか、あなたの熱情と力

強い御業は。あなたのたぎる思いと憐れみは、抑えられていて、わたしに示されません」

とあります(15節)。「あなたの熱情」、それは前回考えた「妬み」です。神は妬むほ

どの激しい愛でわたしたちを愛しておられる、それが「熱情」です。ところがその神の

「熱情」と「たぎる思い」が見えないと語られます。どうしてか、イスラエルが神に背

き、逆らい、捨てたからでした。「しかし、彼らは背き、主の聖なる霊を苦しめた」。

そこで「主はひるがえって敵となり、戦いを挑まれた」からでした(10節)。ここには

イスラエルがたどった歴史的な事情が背景にあります。


 イザヤという預言者は、紀元前8世紀、ユダ王国で活躍した人物でしたが、その名に

よって残されたイザヤ書は、全体を三つに分けることができ、書かれた年代も違います。

そしてこの63章は、アモツの子イザヤから隔たること180年、紀元前6世紀に記され、ま

とめられたものと考えられています。第三イザヤと通称される無名の預言者集団によって

編集された預言でした。時代はユダ王国がとうに滅亡し、バビロン捕囚を経てペルシャ

帝国の時代、約束の地に帰還できたものの、かつての栄光はどこへやら、神殿は破壊され

たままで、栄華を極めたエルサレムの町も城壁が崩されたまま、先が見えず、ペルシャ支

配の許で呻吟していた時代でした。その彼らに第三イザヤが語ったことは、「起きよ、光

を放て。あなたを照らす光は昇り、主の栄光はあなたの上に輝く。見よ、闇は地を覆い、

暗黒が国々を包んでいる。しかし、あなたの上には主が輝き出で、主の栄光があなたの上

に現れる。国々はあなたを照らす光に向かい、王たちは射し出でるその輝きに向かって歩

む」というものでした(60章1~3節)。彼らは王国滅亡とバビロン捕囚という破局を

経験していました。どうして彼らはこのような苦難を受けたのでしょうか。イスラエルが

自分の神を捨てたからでした。「彼らは背き、主の聖なる霊を苦しめた。主はひるがえっ

て敵となり、戦いを挑まれた」とはそういう事態を表わしています。しかしそのような状

況の中で、イスラエルはなお自分たちが背き、捨てた神に呼びかけました。「あなたはわ

たしたちの父です」と。「アブラハムがわたしたちを見知らず、イスラエルがわたしたち

を認めなくても、主よ、あなたはわたしたちの父です」。自分で捨てておきながらずうず

うしいにもほどがある、しかしそれでもイスラエルは、なお神に向かって「あなたはわた

したちの父です」と呼びかけました。『わたしたちの贖い主』、これが永遠の昔からあ

なたの御名だからだと。


 主イエスの「放蕩息子」の譬を見るまでもなく、旧約聖書自身が、「父なる神」とはど

のような神であられるかを教えていました。自分を捨て、自分から離れたイスラエル、ま

さしく放蕩息子に他ならないイスラエルを、それでも見捨てることができずに憐れみ、顧

みてくださる神であるということを。そしてその神がイスラエルの父であるとはどういう

意味かを、9節が明らかにします。「彼らの苦難を常に御自分の苦難とし、御前に仕える

御使いによって彼らを救い、愛と憐れみをもって彼らを贖い、昔から常に、彼らを負い、

彼らを担ってくださった」。「背負う神」、それが神が「父」であられるということでし

た。しかもそこで背負うのは、苦難にうちひしがれたイスラエルでした。苦しみに打ち

のめされて、立ち上がることができないイスラエルでした。しかもその苦難は、自ら招い

た結果であり、自分が撒いたものを刈り取っているのです。誰が悪いのでもない、まして

や神が悪いのではない。自分が罪を犯し、それによって招いた結果を自分で刈り取って苦

しんでいるのです。それにもかかわらず神はそうやって自分の罪、自分の愚かさの結果、

苦しんで倒れ伏しているイスラエルを、ご自分の苦難として引き受け、彼らと共に苦し

み、彼らと共に悩みながら、もはや立ち上がれなくなったイスラエルを背負い続けたと

いうのです。ここで神が背負ったイスラエルは、立派なイスラエル、信仰深いイスラエ

ル、神に忠実なイスラエルではありませんでした。罪を犯し、神に背き、その結果を自ら

に招いている、愚かで情けないイスラエルです。自分のせいで苦しみ、倒れ伏しているイ

スラエルです。しかしそれでもそのイスラエルを見捨てることができず、彼らの苦しみを

ご自分の苦しみとして共に苦しみ、共に悩みつつ、彼らを担い、背負う神、それが「父な

る神」でした。

 

4.苦難と共にわたしたちを「背負う神」

 この第三イザヤからさかのぼること20年、イスラエルの民がまだ捕囚民としてバビロ

ンにいたとき預言した無名の預言者がいました。通称第二イザヤと呼ばれる預言者も同

じことを預言しました。「わたしに聞け、ヤコブの家よ、イスラエルの家の残りの者よ、

共に。あなたたちは生まれた時から負われ、胎を出た時から担われてきた。同じように、

わたしはあなたたちの老いる日まで、白髪になるまで、背負って行こう。わたしはあなた

たちを造った。わたしが担い、背負い、救い出す」(46章3~4節)。紀元前586年にユ

ダ王国が滅亡し、バビロンへと連行されたユダの民が目にしたのは、栄華を極めたバビ

ロンの都でした。そこにはバベルの塔のモデルとなった巨大なジクラットや、世界七不思

議に数えられたネブカドネツァルの空中庭園がありました。そしてその中央には広い行列

道路があり、そこを年に一度新年祭の時バビロンの神々が練り歩いたとされています。ベ

ルとはバビロンの主神マルドゥクの別名、ネボはその息子で、今や全世界を支配するバビ

ロニア帝国の神々でした。豪家絢爛に飾り立てられて行進する神々の像を、ユダの民は圧

倒される思いで見つめたことでしょう。しかしその彼らに第二イザヤは断言しました。

「ベルはかがみ込み、ネボは倒れ伏す。彼らの像は獣や家畜に負わされ、お前たちの担い

でいたものは重荷となって、疲れた動物に負わされる。彼らも共にかがみ込み、倒れ伏

す。その重荷を救い出すことはできず、彼ら自身も捕らわれて行く」と(1~2節)。所

詮それらはただの偶像にすぎず、いつか戦いに敗れれば、それらも捕虜として異国に引き

立てられていく。そこで偶像は人間の重荷にすぎないと。そして約束したのが先の言葉で

した。「わたしに聞け、ヤコブの家よ、イスラエルの家の残りの者よ、共に。あなたたち

は生まれた時から負われ、胎を出た時から担われてきた。同じように、わたしはあなたた

ちの老いる日まで、白髪になるまで、背負って行こう。わたしはあなたたちを造った。わ

たしが担い、背負い、救い出す」。わたしがあなたたちを造った、わたしがあなたたち

を生んだ、そうしてあなたたちの父なのだから、その責任を取ろうと言って、「わたしが

担い、背負い、救い出す」と約束してくださるのです。これがイスラエルにとっての「父

なる神」なのです。しかしこのことは、何もイスラエルの歴史の後の時代のことだけでは

ありませんでした。


 前回はイスラエルの民がエジプトを脱出した直後、シナイ山で十戒を授けられた場面で

の出来事を見ていきました。その直後に起きた「金の子牛」事件です。しかしその後もイ

スラエルは神に背き続け、荒れ野を40年さまようことになります。そしてその40年の荒

れ野での苦難を経て、これからいよいよ約束の地に入ろうとする直前、モーセが語ったの

が申命記でした。この申命記の中でモーセは、荒れ野での40年を振り返ってこう語りま

した。「わたしはあなたたちに言った。『うろたえてはならない。彼らを恐れてはならな

い。あなたたちに先立って進まれる神、主御自身が、エジプトで、あなたたちの目の前で

なさったと同じように、あなたたちのために戦われる。また荒れ野でも、あなたたちが

この所に来るまでたどった旅の間中も、あなたの神、主は父が子を背負うように、あなた

を背負ってくださったのを見た。』」と(1章29~31節)。イスラエルが荒れ野を40年

も放浪したのは、神のせいではなく、彼ら自身が神に背き、神に従わなかったからでし

た。神を捨てた結果、40年も荒れ野を放浪するはめになりました。しかしその間、神は

彼らを見捨てませんでした。むしろ罪の結果荒れ野を旅するイスラエルに付き添い続け、

彼らを守り続け、導き続けてきてくださったのでした。モーセは「この四十年の間、あな

たのまとう着物は古びず、足がはれることもなかった」と振り返ります(8章4節)。そ

のように荒れ野をも付き添ってくださった神は、「父が子を背負うように、あなたを背

負ってくださった」と。これが「父なる神」なのです。罪を犯し、失敗した人間を見捨て

ることができない。自分を捨て、自分から離れたわたしたちを、それでも見捨てることが

できず、罪によって招いた結果をも、共に悩みながら、その苦難を共に歩んでくださる

「父」でした。そしてそこで苦しみゆえに倒れ伏すわたしたちを、そこで背負い、担って

くださる「父」なのでした。それが「父なる神」と教えられている、わたしたちの神で

す。モーセは、申命記の終わりで、歌を歌います。そこで彼はこう詠いました。「主は荒

れ野で彼を見いだし、獣のほえる不毛の地でこれを見つけ、これを囲い、いたわり、御自

分のひとみのように守られた。 鷲が巣を揺り動かし、雛の上を飛びかけり、羽を広げて

捕らえ、翼に乗せて運ぶように」。そしてこう加えます「ただ主のみ、その民を導き、外

国の神は彼と共にいなかった」(32章10~12節)。だからこの神は、イスラエルに対し

て、「わたしは主、あなたの神」と呼ぶことができるのです。この神だけがイスラエルを

愛し、守り、導いてこられたからでした。他の神々が彼らにそうしたわけでない、ただこ

の方だけがイスラエルを導いてこられた「唯一の神」でした。


 だから「聞け、イスラエルよ。我らの神、主は唯一である。あなたは心を尽くし、魂を

尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい」と求めることができるのでした

(申命記6章4、5節)。そして十戒において「あなたには、わたしをおいてほかに神が

あってはならない」と求められるのでした(5章7節)。なぜならこの方こそが、いやこ

の方だけが「わたしは主、あなたの神、あなたをエジプトの国、奴隷の家から導き出し

た神である」からでした(5章6節)。しかしこのように求める神は、わたしたちの「父

なる神」として、この方を見捨てたわたしたちをも見捨てることのない「父」でした。そ

してこの方に逆らい、背き、罪を犯して、その結果を自ら刈り取るとしても、なおそこで

苦しみ悩むわたしたちに寄り添い、その苦しみを共に歩み続けてくださる「父」でした。

そしてそこで倒れ伏すわたしたちを、背負い、担ってくださる「父」でした。それがわた

したちの「父なる神」です。このように「神が苦しみを受けられる」ことについて、オリ

ゲネスという3~4世紀に活躍した教父は『エゼキエル書注解』の中で次のように記して

います。「(救い主は)人類を悲しみ憐れむために地上に降りてこられたのであり、十字

架の苦しみに耐えてわれわれの肉を帯びてくださるほどに、自らわれわれの苦難を負われ

た。もし救い主が苦難を受けなかったならば、人間としての生活を共にするために来られ

ることはなかったであろう。われわれのためにあらかじめ被ってくださったこの苦難は

いったい何だったのか。それは愛の苦難である。宇宙の神であり、『寛大であり十全な

慈しみ』を持ち(詩103編8節)、情け深いお方である御父ご自身は、どのようなかたち

であっても苦難を受けないのだろうか。それとも人類を取り扱う際に彼は人間の苦難を経

験しておられることを、あなたは今知っているだろうか。『あなたの神、主は父が子を背

負うように、あなたの性質を背負ってくださった』(申命記1章31節)。それゆえ、ま

さに神の御子としてわれわれの苦難を負われたように、神はわれわれの性質を背負われた

のである」8。「父なる神」を信じるとは、このようにわたしたちを見捨てることなく、

憐れみ続け、担い続け、背負い続けてくださる、この父としての憐れみを信頼して、神と

共に歩むことなのです。なぜならこの方だけが、ご自分を「あなたの神」と呼んで、わた

したちに向かい合ってくださり、わたしたちがご自分を「わたしの神」と呼ぶことを許し

てくださる「唯一の神」だからです。「父なる神」への告白、それは神を「わたしの父」

と呼ぶ信頼の言葉なのです。

 


 

1 本講座第5課を参照

2 K.バルト、『教義学要綱』、1993年、新教出版社、新教セミナーブック1、50頁

3 K.バルト、『われ信ず』、2003年、新教出版社、新教セミナーブック11、28頁

4 同上、27頁

5 同上、28頁

6 関川泰寛、『ニカイア信条講解-キリスト教の精髄』、1995、教文館、80頁

7 小高毅、『クレド〈わたしは信じます〉キリスト教の信仰告白』、2010年、教友社、

 177~178頁

8 A.E.マクグラス編、『キリスト教神学資料集』上、2007年、キリスト新聞社、

 443~444頁